乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

中岡望『アメリカ保守革命』

本書は20世紀アメリ保守主義の歴史と現状に関するコンパクトな概説書である。

リベラリズムが主流派思想であった20世紀前半のアメリカにおいて、もともとそれに対抗する思想運動として起こった保守主義は、徐々に現実の政策への影響力を拡大してゆき、ブッシュ(息子)政権において、いわゆる「ネオコン」として政治の表舞台に登場するに至った。そのほぼ一世紀にわたる発展過程を、本書は冷静な筆致で丁寧に描き出している。

名著である。よくぞこれほどまでに包括的な議論を新書サイズの紙幅に収められたものだと感心する。著者の力量に脱帽する。保守主義について平易な言葉で語るのは本当に難しい。僕自身が専門的に研究している分野だけに、その難しさは誰よりもわかっているつもりだ。

試みに、手元にある国語辞典(『大辞林(第二版)』三省堂)で「保守」という言葉を引くと、《古くからの習慣・制度・考え方などを尊重し、急激な改革に反対すること。⇔革新》とある。この説明が象徴するように、政治思想・政治的イデオロギーとしての保守主義を一般的・包括的に論じようとする場合にいちばん問題となるのは、「尊重」すべき「古くからの習慣・制度・考え方」および「反対」すべき「急激な改革」の内容が一定でないこと――それらが時と所によって大きく変化すること――である。

後に述べるように、アメリ保守主義反共主義と密接な関係を保ちつつ発展したが、保守主義一般が必ずしもそうであったわけではない。極端な例かもしれないが、市場経済化が急速に進展したソ連崩壊後のロシアでは、「(74年間続いた)ソ連体制」を伝統的なものとして尊重し「急激な市場化改革」に反対する立場(旧共産党勢力)こそが、現代ロシアの「保守主義」を体現している、と考えることも可能なのである。「保守派の共産党」という奇異に聞こえる表現を私たちは必ずしも排除できない。

ここに保守主義を語ることの固有の難しさがある。つまり、時空間の限定なしに用いられた裸の「保守主義」は、単なる器にすぎない。その器に何が盛られるべきかは指示されない。裏を返せば、盛られるべき何かを指示しようとすれば、「いつ」「どこ」の保守主義という形式においてでしか語れない。僕が研究しているバークやマルサスの生きた18世紀末から19世紀初頭にかけてのイギリスの保守主義であれば、「尊重」すべき 「古くからの習慣・制度・考え方」とは(1688-9年に確立された)名誉革命体制に他ならず、「反対」すべきはフランス革命のような急激な改革(およびそれを支える思潮)に他ならない。

それでは、本書が主題とする現代アメリカの保守主義の場合はどうなるのか? アメリカの保守主義は、何を伝統として尊重し、何と戦おうとしているのか? ありがたいことに、こうした僕の疑問に明確に答えることから、本書は始まっている。尊重すべきは合衆国建国期の精神・政策・体制であって、反対すべきはニューディールの精神・政策・体制(いわゆる「リベラリズム」)である。近世イギリスの保守主義にとってのフランス革命に相当する事件は、現代アメリカの保守主義にとってのニューディールであった。これこそが現代アメリカの保守主義の独自性を理解しようとする場合の出発点である。

保守主義革命の最大の特徴は、リベラリズムの過剰に対する“反動”として登場してきたことだ。(p.8)

ルーズベルト大統領のニューディール政策アメリカを大恐慌から救い出し、国民に希望の火を与えていた。政府の約束する様々な社会福祉政策は、人々に安定した生活を保障しているように見えた。戦争で肥大化した政府は、福祉国家としてさらに拡大する勢いであった。(p.10)

「連邦主義」を信奉する保守主義者は巨大な連邦政府の出現に危機感を抱き、アメリカが“建国の理念”から逸脱し始めたと批判の声をあげるようになったのである。(p.12)

このような「建国の理念」を尊重し「連邦主義」を信奉する保守主義を、本書は「伝統主義」と呼んでいる。アメリ保守主義における「伝統主義」は、そのルーツをバークに代表される近世イギリスの保守主義に宿している。その人間観・社会観・宗教観のエッセンスは次のようなものである。

人間は不完全である。だからこそ「伝統」や伝統に基づく「価値観」や「秩序」が、アンカー(鎖)として必要なのである。・・・アメリカの建国の父たちは人間が不完全であるゆえに国家権力の集中を避けようとしたのである。(pp.18-9)

人間は理性的存在ではなく感情に支配される存在であり、不完全な存在である・・・。すなわち、人は放置しておけば、無政府主義に陥る傾向を常に持っているのである。それを防ぐためには、祖先が蓄積してきた伝統を大切にする必要がある・・・。(p.23)

不完全な人間が人間たりうるのは、絶対的な価値基準として神が存在するからである。(p.25)

アメリカの建国の父たちは、人間の本性は変わらぬと考え、権力の分散が国家の基本として必要であると考えた。行政と司法と立法の三権分立は、権力の集中を避けようとする建国の父たちの工夫であった。そして権力を中央政府と地方政府との間で分散する仕組みを作り上げたのである。これがアメリカの“連邦主義”の基本的な考え方である。また、保守主義者は、権力が個人の自由を侵略することに極度に神経質である。個人が国家に対して主体性を維持するには、私的所有権を守る必要がある。個人の自由を保障し、個人間の競争を促進することが必要であると主張する。大事なのは“機会の平等”であり、“結果の平等”でない。そうした発想から、階級社会の存在を肯定的に評価する。(pp.26-7)

現代アメリカの保守主義はこの「伝統主義」に代表される。しかし、現代アメリカにおける保守主義の発展過程を正しく理解するためには、それが決して一枚岩でなかったことに絶えず留意する必要がある(現代アメリカの保守主義のルーツは、部分的には18世紀末から19世紀初頭にかけてのイギリスの保守主義に求められるけれども、あくまで部分的でしかなかったことが留意されるべきである)。初期においてさえアメリカの保守主義は、伝統主義とリバタリアニズム自由至上主義)に分かれていた。

戦後のアメリ保守主義は二つの流れに収斂されていった。ひとつは伝統主義であり、もう一つはリバタリアニズムである。だが保守主義運動の中で、この二つのグループの間に直接的な接点はなかった。二つの保守主義は共通な価値観を持っていたが、必ずしも同じ理想を求めていたわけではなかった。「大きな政府」を批判する点では一致しながらも、「個人の自由」に関する考え方は大きく違っていた。伝統主義者が倫理や宗教から「個人の自由」を理解しようとしたのに対し、リバタリアンは市場という観点から理解しようとしていた。(p.40)

伝統主義者は敬虔なキリスト教徒が主流を占めていたのに対し、リバタリアンの多くは宗教には比較的無関心であった。伝統主義者は伝統を重んじ、個人主義に対して批判的であったが、リバタリアンはダイナミックに変化する社会経済をイメージし、個人の自由を最大限認める個人主義の哲学を掲げていた。(p.41)

しかし、思想運動としての保守主義が発展するためには、「小異を捨てて大同につく」ことが求められた。二つの流れを融合させることが必要であった。反共主義がその接着剤の役割を果たした。

保守主義の二つの流れを融合させたのが、ジャーナリスト出身の保守主義者フランク・メイヤーである。融合された保守主義思想は「フュージョニズム(融合主義)」と呼ばれた。(p.41)

伝統主義が主張する人間の“美徳”の達成は・・・リバタリアンの主張する“自由な社会”があって初めて可能になると説いたのである。メイヤーは、これによって、それまで対立していた伝統主義とリバタリアニズム保守主義革命の大義のために“融合”させたのである。(pp.43-4)

フュージョニズムが反共主義によって貫かれている・・・。冷戦が深刻化し、共産主義の世界への拡大が現実のものとなりつつあった当時の状況から、全体主義に反対する伝統主義者もリバタリアンも、反共主義にはまったく異論がなかった。その結果、反共主義アメリカの多様な保守主義の思想を結びつける役割を果たすことになる。(pp.44-5)

ここまでがアメリ保守主義革命の第一段階である。メイヤーによる“融合”によって理論武装を終えた保守主義者は、その舞台を思想の場から政治の場へと移していく。彼らは保守主義思想を単なる思想運動に留めることなく、その理念を政治の場で実現しようとした。ここから保守主義革命は第二段階に突入する。

1950・60年代、タフト、ゴールドウォーターという二人の共和党政治家は保守主義の理念を政治の場で実現することに成功しなかった。しかし、その過程で、保守主義運動の本流の流れとは別に、(伝統的な孤立主義を捨てて積極的に国際政治に介入しようとする反共主義者である)「冷戦リベラル」や(人工中絶や同性愛を宗教的な倫理観に反する現象として徹底的に批判する)「クリスチャン・ライト」といったグループが保守陣営に加わり、保守主義者は共和党の一大支持基盤を形成していく。それに伴って、共和党保守主義を奉じる政党へと変貌していく。そして、1980年、レーガン共和党政権の成立によって、ついに保守主義はその理念を政治の場で実現するチャンスを手に入れた。

レーガン政権は、現代アメリカの保守主義の構成要素に新たに「サプライサイド経済学」を付け加えた。その主張は、リバタリアンの主張と部分的に重なりつつも、国民にとってより魅力的な経済政策のプログラムを提示するものであった。

レーガンは、大統領選挙中に幾つかの主要な政治課題を掲げた。まず、福祉政策の改革を訴えた。レーガンの福祉政策に関する理解は、本当に政府の保護を必要とする者に対して政府は手を差し伸べるべきであるが、1930年以降の福祉プログラムは過剰であり、家族の生活を崩壊させ、労働倫理を空洞化し、人々の自尊心を傷つけてきたと考えていた。さらに多くの福祉政策は憲法の趣旨に反しており、貧困は公正な経済システムを構築することで解消できると主張していた。伝統主義者ほど福祉政策に批判的ではないが、それでもリベラル派の福祉政策を改革する必要性を痛烈に感じていた。
さらにリバタリアンの主張を受けて、市場機能を活性化させるために政府の市場介入を排除し、規制緩和を実施することを約束した。また大幅減税と税制改革を大きな政策課題と位置づけた。これはサプライサイドの経済学の実践であった。そして反共主義者の主張である大幅な軍事費増による軍事力の再構成を大きな政策の柱とした。こうした一連の保守主義に基づく政策が、国民に受け入れられたのである。(pp.88-9)

リバタリアンや伝統主義者の経済を巡る議論は、そのままでは国民にアピールする魅力はなかった。福祉国家を否定し、市場主義を唱えるだけでは国民に魅力的な政治メッセージを送ることはできなかった。だが、サプライサイダーの経済学は、大幅減税を保守主義の魅力的な経済政策にすることができたのである。(p.93)

しかし、それだけだったらサプライサイドの経済学は説得力を持たなかっただろう。・・・資本主義は企業家によるリスクを伴う投資を通して社会に貢献するアルツルーイズム(愛他主義)の一つの形態である・・・。企業家が投資をするのは利己的な貪欲さからではなく、損をするかもしれないというリスクを犯して社会に貢献している・・・。これによってサプライサイドの経済学は浅薄な減税理論から、深みのある哲学へと深化されたのである。(pp.94-5)

2期8年間におよぶレーガン政権は、結果的に、保守主義者が熱望したような成果をもたらさなかった。「小さな政府」も「福祉政策の抜本的な改革」も実現しなかった。クリスチャン・ライトが主張した人工中絶などの社会問題についても、レーガンはイニシアティブを発揮しなかった。レーガン革命という壮大な実験は実質的には失敗した。

レーガンの後を継いだブッシュ(父)は、レーガン政権内のリベラル派であり、保守主義から一定の距離を置いた。増税を行い、様々な福祉関連の立法を行い、軍事費を削減した。逆に、後続の民主党クリントン政権は、「ニュー・デモクラット」というスローガンによって伝統的な民主党のリベラル路線から距離を置いた。「個人の責任」や「コミュニティの再建」を強調する中道右派の政策を採用した。保守主義アジェンダである財政均衡福祉国家抑制という基本的な政策を、共和党クリントンに奪われてしまった。保守主義はこれまでの主張とは異なる新しい魅力的なアジェンダを提示することを迫られた。そのような中、「冷戦リベラル」(後に「ネオコン」と呼ばれるようになる)が、徐々に力を蓄え、保守主義の新しいアジェンダの書き手として台頭してくる。

福祉国家を全面的に否定する伝統主義者と違い、最低限の福祉国家は必要であるとするネオコンの論者は「現代福祉国家と共存するしかない」と考えていた。(p.116)

アメリカの保守主義の流れを整理すると次のようになる。カークやウィーバーに始まった保守主義思想は、メイヤーによって融合された。思想的な枠組みの完成をベースに、バックリーが主宰する『ナショナル・リビュー』誌を中心に保守主義の政治革命が始まった。『ナショナル・リビュー』誌の思想を支えたのは伝統主義者であった。しかし、こうした保守主義運動の本流の流れとは別に、“冷戦リベラル”と称するグループが民主党を離れて保守陣営に加わってくる。このグループはやがて、ネオコンサーバティズムと呼ばれ、そのメンバーは“ネオコン”と呼ばれた。
倫理的で宗教的な議論に傾斜する伝統主義者に対して、ネオコンは社会科学や統計学を駆使して福祉政策を緻密に分析し、その政策効果の無効を主張するなど、倫理的な世界観を巡る議論に留まらず、現代国家を運営するために必要な理論武装もしていた。
・・・レーガン政権下で伝統主義者の影が次第に薄くなり、ネオコンに吸収されていくのである。伝統主義者とネオコンの間には国家観、福祉政策、世界の政治に対する認識の差があったが、理論的にはネオコンが伝統主義者を圧倒していく。(pp.119-20)

ネオコンニューディールには批判的であったが、伝統主義者のように粉砕を叫んだりはしなかった。・・・ネオコンは国際政治にアメリカが積極的にかかわっていくことを主張したのに対して、伝統主義者は基本的に孤立主義を主張し、むしろ国内での反共対策を重視した。(p.186)

「善と悪の区別(→悪との対決)」「社会的美徳への奉仕」を強調するネオコンは、「罪深い世界を浄化するのがアメリカに課せられた運命である」(p.175)と考える。そこから、「冷戦後もアメリカは国際政治で積極的な役割を果たすべきであり、軍事介入も躊躇すべきでない」(p.204)とする主張が導かれる。

子ブッシュもまた、父と同様に、保守主義者から距離を置いていた。彼が保守主義者であったとしても、それは宗教的な色彩の濃いポピュリストの保守主義に軸足を置いたもので、「現実には、ネオコンブッシュ政権外交政策を巡って緊張関係にあった」(p.222)。しかし、9・11連続テロ事件で両者の関係は大きく変わった。ブッシュの宗教観とネオコンの世界観が結びつき、ブッシュは外交政策ネオコンに歩み寄った。しかし、それはネオコンブッシュ政権を乗っ取ったことを意味しない。ネオコンは過大評価されている。ブッシュ政権の国内政策はネオコンのそれと一線を画している。

以上、かなり長くなってしまったが、本書の内容をまとめてみた。これだけ長くなったのは、これ以上削りようがないほどに、保守思想研究にとって重要な叙述・論点が本書には目白押しだからである。僕自身が『イギリス保守主義の政治経済学』を書いている時にいちばん強く意識したのは、政治思想と経済思想の絡み合いを可能な限り明確に描き出すことであった。現代の保守思想が経済政策に及ぼす巨大な影響力を考慮すれば、それは当然の作業だと思われるのだが、概して、近世イギリスの保守主義の研究者は、この点に自覚的でないようだ。本書は現代アメリ保守主義の多様性を、政治思想(それを支える人間観・社会観・宗教観)にとどまらず、経済政策との関係から見事に描き出している。実は僕は(バークとマルサスのテクストに即しつつ)本書のような方法で近世イギリスの保守主義を描き出したかったのだ。僕が本書に最大限の評価を与えるのは以上のような理由からである。*1

先に「時空間の限定なしに用いられた裸の「保守主義」は、単なる器にすぎない。その器に何が盛られるべきかは指示されない」と書いた。僕の理解するところでは、保守主義の本質はその思考の態度にあり、厳密な意味で「主義」と言えない。かつて福田恆存は、エッセイ「私の保守主義観」(1959)において、「私の生き方ないし考へ方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考へない。革新派が革新主義を掲げるやうには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ。・・・保守的な態度といふものはあっても、保守主義などというものはありえない」と書いたが、僕は福田のこの保守主義観に賛成である。その理由はこのエントリの内容から十分に理解してもらえるように思う。

追記:このエントリをまとめるにあたって、大阪府立大学大学院近藤真司ゼミ(於大阪府立大学中之島サテライト、2009年12月23日)での議論が大いに参考になった。ここに記して感謝の気持ちを表したい。

アメリカ保守革命 (中公新書ラクレ)

アメリカ保守革命 (中公新書ラクレ)

評価:★★★★★

*1:ネオコンの世界観にインスピレーションを与えたとされる政治思想家レオ・シュトラウスがなぜか「レオン・シュトラウス」が表記されている(しかも36ページでは「経済学者」となっている)など、些細なミスも見受けられるが、それは本書の価値をまったく損なうものではない。