新規担当科目「経済学特殊講義2(人権・教育・市場)」の講義ノート作成のために読んだ。この「特講2」はもともと人権問題を講じる科目なのだが、かつては工業経済学のTさんが恒常的な担当者で、部落産業との関連で講義されていた。一昨年度末にTさんが定年退職され、最適任者を欠いてしまってからは、経済学部スタッフが輪番で担当する科目となったようだ。昨年度は社会思想史のUさんが担当され、今年度は僕が担当を依頼された。自分自身の知的関心が「経済学説史」という科目の枠内に収まっているわけではないので、こうした機会を与えられることは基本的に歓迎しているのだが*1、リレー式講義のように1、2回しゃべって終わりというわけにはいかず、半期13回もしゃべらなければならない。これは人権の専門家ではない僕にはかなり重たい負担だ。結局3期ゼミでひつこく議論してきた教育問題を人権問題とからめて講義することにした。
「人権と教育」というテーマを論じようとすれば、絶対に避けて通れないのが、堀尾輝久の古典的議論(「人権=教育論」「国民の学習権・教育権論」)だ。本書は当該テーマに関連する論文を一書にまとめたものである。収録論文の発表年は1960年から1990年までの30年にもおよび、堀尾教育学の深化の過程を追跡することができる。
堀尾の根本的な問いは、多くの戦後民主義者と同様、「我が国はどうして無謀な侵略戦争に突入してしまったのか?なぜそれを阻止できなかったのか?」という問いである。彼の答えは「一国の暴政と国民の無知は分ち難い関係にあった」(p.15)、「独裁は民衆の無知に依拠する」(p.16)、というものだ。したがって、日本国民がかつての過ちを繰り返さず、日本国憲法の前文にあるような理想を追求するためには、国民の知的探求の自由、真実を知る権利の総称としての国民の学習権・教育権が(形式的にではなく)実質的に保障されなければならない。そういうものとして日本国憲法第23条*2と26条*3は解釈されねばならない。それらは基本的人権としての国民の学習権・教育権を規定した条項であるが、国民の学習権・教育権は基本的人権の単なる一部なのではない。
国民の学習権は、それ自体人権の一つであると同時に、その他の人権の実質を規定し方向づける意味において、まさしく人権中の人権、とりわけ基本的(基底的)な人権といえよう。(p.36)
人間は終生、知的探求の自由をもち、真実を知る権利をもっている。主権者としての国民は、この探求の権利の主体的行使によって、はじめて主権者としての実質を保ちうる。(p.75)
民主主義とは、つくられた「多数の意見」に盲目的に従うことではなく、国民ひとりひとりに自立した主体としての重い責任を課すものである。国民ひとりひとりが不断の学習と探求の主体であって、はじめて、国民主権の実質的担い手でありうる。国民主権と国民の学習=教育権は、車の両輪の関係にある。そして、学習と教育の権利が国民にあるというとき、それは、国民ひとりひとりが、真実を知る権利、探求の自由をもち、自ら自立的、理性的な主体たらんとする思想であり、そのような次代の主権者を育てようとする思想だといってよい。(p.129)
国民のひとりひとりがその学習権・教育権を主体的に行使することによって、民主主義は実体化し、全体(軍国)主義への堅固な防波堤たりうる、というわけだ。
広田照幸によれば、堀尾の理論は「一世を風靡した」(『教育』p.102)らしい。「近代社会の形成過程で歴史的に練り上げられてきた「人権」概念や、発達心理学の科学性に依拠した「発達」概念を、普遍的な原理として定点に据え、現実の教育を批判し、あるべき教育像を構築してきた」(『教育』p.3)とのことだ。しかし、堀尾の教育理論は美し(理想的)すぎるのではないか、というモヤモヤ感が僕の胸の内に湧き出していたことも確かだ。
こうしたモヤモヤ感が生まれるゆえんを広田は明快に説明してくれている。一つには、フーコーの権力論などによって、教育という営みの権力性が暴かれ、ア・プリオリな善性を喪失してしまったから。もう一つには、こうした教育原理と「実際の教育問題や教育改革の場、すなわち、全国数十万の平凡な教師が限られた時間と予算の中でおこなう教育――「制度としての学校(教育)」――の現実との距離があまりにも大きい」(『教育』p.6)からである。
2005年に読むとさすがに古さを感じさせる内容だが、一つの歴史的資料として読み継がれる価値があることは、決して否定しない。第二章補論Ⅱ「児童憲章とその問題点」(1960)からの抜粋を「特講2」の講義資料として配布したが、その「貧困→非行」論に少なくない受講生が衝撃を受けていた事実を、ここに書き添えておきたい。
- 作者: 堀尾輝久
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