乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

清水泰博『景観を歩く京都ガイド』

僕は兵庫県姫路市に生まれ、高砂市に育った。1987年4月、18歳の時に京都にやってきて、以来19年間*1、京都に住み続けている。これまでの37年の人生でもっとも長く居を構え*2、これからもずっと居を構えたいと考えている街である京都。僕は生粋の京都人ではないけれど、京都が自分の「第二の故郷」どころか「地元」であるとの強い意識を持ち始めている。吹田市にある私立大学に勤務してはや8年。1時間半をこえる長距離通勤にもかかわらず、どうして京都に住み続けるのか? 京都の何がそんなに魅力的なのか? その答えの一つが本書にある。

著者は京都生まれの建築家(東京芸術大学助教授)。本書は、「自動車」ではなく「徒歩」あるいは「自転車」で、有名寺院などの「歴史的建造物」ではなく「景観」を味わうために著された京都ガイドブックである。こうした視点は地元民ならではだと思う。京都は自動車で観光する街でもない。自動車では京都の最大の魅力である「いつのまにか隣の空間へとつながって展開していく」(p.30)シークエンス(景観の継続的な変化)が味わえないからである。シークエンスの魅力は、単に京都という街の魅力にとどまるものではなく、日本の空間美の本質でもあると著者は考えている。

一日ずっと日本の空間の美しさを味わえるような「旅」ができれば・・・。これはそんな思いをこめた、私の勝手なガイドブックである。(p.x)

全部で9つのコースが紹介されている。

1 東山を歩くI――歴史をつなぐ小径
2 東山を歩くII――自然と街の作りだす景観
3 嵯峨野を歩く――ひなびた世界
4 御室を歩く――洛西の小都市
5 大徳寺界隈を歩く――枯山水の造形
6 北山を歩く――平安からの道をたどる
7 洛中を自転車で巡る――古都に息づく小さな家々
8 鴨川を自転車で走る――下から見た京都
9 東山トレイルを歩く――上から眺める京都

通常のガイドブックではまず考えられないことだが、金閣寺、二条城、三十三間堂などが除外されている。その代わりに(著者の専攻領域とも関連している)枯山水庭園がかなり詳細に紹介されている。枯山水を眺めていると、なぜかいつも僕は映画「2001年宇宙の旅」を想起してしまうのだが、著者は枯山水の造形を「宇宙的」(p.76)と形容しており、自分の感覚が変でなかったことを知って安心した。枯山水と山水河原者との関係についての著者の推察(p.4, 72)はたいへん興味深いものだった。橋、小径、飛石、民家の屋根勾配、お地蔵さんといった小さなものに注がれた眼差しは、鋭さと微笑ましさとを兼ね備えている。126-7ページに集められた数々の地蔵祠の写真を見て表情を緩めない読者はいないだろう。どの章(コース)においても、簡潔で曇りのない文体と小さいながらも(新書だから仕方がない)美しく魅力的な写真とが見事にマッチしている。

僕自身の生活ともっとも密接に関係しているのは、「8 鴨川を自転車で走る」だろう。*3これまで京都で居を構えた場所は、いずれも鴨川まで徒歩で5分圏内である。姫路の家も、高砂の家も、海辺が近かった。そのせいか僕は水辺が大好きだ。水辺だと落ち着くし、水辺でないと落ち着かない。鴨川散歩は僕の京都生活の一部となっている。*4吹田への通勤を苦に感じないのも、大好きな鴨川を毎日眺めながら通勤できるからだと思う。

鴨川を北に望む風景はとてもいいと思う。北山の連なりが霞をかけたようなグラデーションとなり、その山々が幾重にも重なって美しい。まさに絵の中の風景のようである。都市の中にあって、川と橋はこのような自然を垣間見させてくれる場所でもあるのだ。(p.145)

2002年4月から2003年3月までのエディンバラ留学は僕の京都への愛情をいっそう強めてくれたような気がする。風景、街並みがかけがえのない財産であることを痛感させられたのだ。景観を一方的に楽しむだけではなくて(それは「搾取」と同じだと思う)、景観を守り後世に伝えるために奮闘したい。そういう思いを日々強くしている。景観はお金では買えないのだから。*5

現在の五条大橋は昭和34年にできたものである。戦争中に五条通りは火災の延焼防止のために拡幅され今の規模になった。同じように拡幅されたのが御池通りである。戦前の五条通りは今の北側歩道部分程度だったようだ。私の実家も戦前は拡張されたところに家があったらしい。この五条通りの拡幅の影響は今の鴨東の五条通りの街並みを見ればわかる。北側にはビルも混じってはいるが、まだ昔ながらの街並みを残しているのに対し、南側はビルや駐車場など街並みに統一感がない。拡張後60年経ってなおまだ自然な街並みに戻れていないのである。街が受けた傷はそう簡単には元に戻らないことがここを見てもわかる。(pp.142-3)

思想書の香りすら漂う屈指の京都ガイドブックである。

景観を歩く京都ガイド―とっておきの1日コース (岩波アクティブ新書)

景観を歩く京都ガイド―とっておきの1日コース (岩波アクティブ新書)

評価:★★★★★(本音は★★★★★★★★★★)

*1:正確には16年間。途中3年間のブランク(2年間の大阪生活、1年間のエディンバラ生活)がある。かの大震災は大阪で遭遇した。

*2:借家だが。

*3:「4 御室を歩く」も素晴らしいコースだ。仁和寺は僕が京都でいちばん好きな寺社である。頻繁に足を運んでいる。これまで何度訪れたか思い出せないくらい。

*4:僕のライフワークはバーク研究とマルサス研究だが、マルサスの主著『人口論』を初めて読んだのは、鴨川河川敷、加茂大橋北側左岸であった。なぜか鮮烈に記憶している。

*5:そういう意味において、僕は「郷土を愛する心」にコミットしたいのだ。「国を愛する心」からは一定の距離を置きたいけれども。