乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

S.コリーニ/D.ウィンチ/J.バロウ『かの高貴なる政治の科学』

前回の更新から日数がかなり空いてしまったが、決して読書をサボっていたわけではない。むしろ僕の人生でも一、二を争うほどの高密度で読書に励んでいた。なぜ更新できなかったかのかと言えば、二月後半から三月末までをフルに費やして、重厚で難解な大著二冊に挑んでいたからだ。そのうちの一冊が本書である。

本書は1983年に原著(英語)が刊行され、ほどなく19世紀ブリテン思想史研究のマスターピースとしての地位を認められた。政治思想史・経済学史・社会思想史研究者にとって必携の書であったが、その難解さでも有名であり、長らく邦訳が待たれていた。原著刊行から22年を経た昨年7月、ようやく邦訳が出た。訳者の一人からご献本いただき、読まねばならないと思い続けながら、数ヶ月間本棚に眠らせていた。「敬して遠ざける」といった感じだろうか。本書を出発点とした研究会「『かの高貴なる政治の科学』とその後」が3月25日に開催されることになり、そこでのコメンテーターを依頼された関係で、ようやく重い腰を上げて読み始めた。*1数年前に原書で一部分(第2論説)を斜め読みしていたが、このたび全体を精読して、つくづくとんでもない本だと思った。これまでの37年間に読んだすべての本の中でも十指に入るほどの難解さである。邦訳が(しかも全訳で)出たのは奇跡的と言える。訳者の偉業に心から敬意を表したい。

本書は「19世紀知性史研究」との副題を持つ。3人の著者はこの「知性史」という言葉に特別な意味を込めている。

わたくしたちが意図した積極的主張は本書の副題に示してあ[る]…。知性史は、一種の「反専門的」特質を持っている。…政治的なるものは、18世紀末および19世紀の知的生活がそこで営まれた「非専門的」空間であった。…わたしたちが取りあげた著者たちが政治的なる「もの」という概念に込めた概念の多様さこそが、まさしくわたくしたちが明るみにだしたかったものなのです。(pp.vii-viii)

もともと政治の科学は「人間の日常生活に関わることのすべてを包含する総合的な」(p.320)学問であった。19世紀においてそれは「現在経済学と社会学という半自律的領域とされている領域の多くを包括して」(p.4)おり、「歴史と哲学というもっと大きい大陸のなかの境界のない地域により構成されていた」(p.4)。19世紀ブリテンの代表的歴史家T.B.マコーリは政治の科学を「あらゆる科学のうちで諸国民の福祉にとってもっとも重要であり、――あらゆる科学のうちで精神を大きくし、元気づけるのに役立ち、――哲学と文学とのどの部分からも養分と装飾とを引き出し、そのお返しにあやゆるものに養分と装飾とを与える」ものとして、その「高貴」な本性ゆえに賞賛した。本書の表題となっている「かの高貴なる政治の科学」とはマコーリの言葉である。

しかしその「高貴」な科学は「もはや現代の知識地図上には現れることのない学問である」(p.4)。19世紀における学問の専門化・職業化・制度化の進展の過程で、「政治的なるもの」が包含する領域は縮小し、政治の科学は本来的に有していた包括性・総合性を喪失していく。個別学問としての政治学・経済学・社会学の生誕には、包括的学問としての「かの高貴なる政治の科学」の解体という犠牲を伴っていた。

ただし本書は伝統的政治科学が専門化・職業化・制度化の巨大な波に一方的に呑み込まれてゆく悲劇を語っているわけではない。むしろ包括性・総合性を志向する学問的伝統の執拗な残存、生命力と創造力を描き出そうとしている。

日々紡がれてゆく歴史という名の織物のきめの細かさを見ていると、過去がそこかしこで否応無しに見せつけるものは、連続性と伝統というものが持つ巨大で重厚で、抑圧的な力であり、慣れ親しんだものや、昔からのものが深く根をおろし、席を譲ることをしぶりにしぶり、ゆっくりとしか消え去ることのない慣習の姿である。(p.321)

本書は連続性と伝統の多様な残存形態を強調しているために、全体の大きな流れを見極めることがきわめて困難になっている。本書全体のバックボーンをあえて単純に記すならば、政治の科学の方法をめぐる以下の対立軸である。

  • 哲学的・演繹的接近法(推論)*2vs歴史的・帰納的接近法(推論)

注意すべきなのは、後者が「歴史的」と呼ばれるからと言って、前者が「非歴史的」ではない、ということだ。この対立は歴史叙述をめぐる方法の対立でもあり――「歴史的理解が政治的推論にとってあまりにも重要だと見なされた」(p.158)――、以下のようにも言い換えられる。

  • 先例のない事実としての歴史*3vs教訓・模範・先例としての歴史

前者はスコットランド啓蒙〜ジェイムズ・ミル〜スペンサーの系譜*4上に、後者はポリュビオスマキャヴェリ〜ブラックストン〜バーク〜トマス・アーノルド〜E.A.フリーマンの系譜*5上に位置づけられている。*6もっとも、本書の主たる登場人物であるJ.S.ミル(第4論説)、バジョット(第5論説)、マコーリ(第6論説)、シジウィク(第9論説)、マーシャル(第10論説)に関しては、歴史叙述をめぐる二つの基本的態度を併合すべく奮闘し苦悩した人物として描かれているように思われる。このような知識人の奮闘と苦悩こそ3人の著者がブリテンの知的世界の「連続性と伝統」と見なしているところのものである。

ヒュームの存命中に、政治の科学あるいは当時のいわゆる立法者の科学を作るこころみは、活力と自身を回復し、ニュートン的あるいは経験的方法を道徳分野に応用するというもっと全体的な企ての一部となっていた。当時もその後も、もっとも有効に科学化するにはどうすべきであるかという問題には、二つの基本的な態度があった。一つは多少とも体系的に歴史的証言から得られる教訓もしくは格律を強調する態度である。もう一つは、人間性の恒常的「動機」、すなわち時間と空間を超えてあまり変化しないように思われる心理的性向に注目する態度である。18世紀においては、この二つの態度の併合が重要だと一般に考えられ、歴史上の記録を解釈することの可能な理論として、持続する情念あるいは動機の作用が必要とされた。(p.15)

歴史学派経済学者たちが「社会を合理的個人が自己の(たいていは経済上の)利益を追求する闘技場にすぎないとする見方への反発」(p.221)を共有していた理由も、マーシャル経済学の方法が「妥協」「折衷」「両義」的と評された(pp.269-70)理由も、この「連続性と伝統」の文脈の中で理解されるべきであろう。マーシャルは政治の科学が本来的に有していた包括性・総合性を諦めなかった。

…マーシャルは、古典派時代の先駆者たちのようには経済学を直線的に「より狭い」あるいは「より純粋な」学問にしようとはしなかった。むしろその逆に、かれの抱いた経済学の構想は、その企図した範囲においては充分に領土拡張主義的であり、また、驚くほど広範囲の社会問題に寄与しうる専門的見識の宝庫として、経済学に独自の地位を約束するものであった。すなわち、もしこの構想が体系的に展開されたならば、経済学は社会科学においてもっとも一般性を持つ、おそらくは唯一の社会科学にすらなっていたことであろう。そしてその途上において、社会学と政治科学が占めていた概念的空間はまったく空っぽになっていたに違いない。(p.269)

さらに、スコットランド啓蒙〜ジェイムズ・ミル〜スペンサーの系譜には以下のような亀裂が走っているとされ、それが話の筋書きをいっそう複雑なものにしている。

  • 極端な歴史主義*7vs極端でない歴史主義

スコットランドの道徳哲学者および市民社会史家たちは唯物論的歴史主義の「前提条件」(p.12)を作ったかもしれないが、彼らは教訓的な歴史観を全面的に捨て去ったわけではないから、政治的な知識と決断(政治的英知)が歴史の進路に影響を及ぼす可能性を認めていた。その点において、スペンサー流の(極端な)「歴史主義の決定論的拘束」(p.165)とは一線を画している、とされる。

以上が本書のおおよその内容である。とにかく、あらゆる意味において「すごすぎる」本である。知的刺激が強すぎて、脳みその震えが止まらない。誰かこの震えを止めてくれ。*8

かの高貴なる政治の科学―19世紀知性史研究 (MINERVA人文・社会科学叢書 (108))

かの高貴なる政治の科学―19世紀知性史研究 (MINERVA人文・社会科学叢書 (108))

評価:★★★★★

*1:経済理論史研究会@慶大。3名の院生がご報告されたが、「その後」を語るには肝心のこの本が未消化だった気がしてならない。

*2:≒公益(功利)主義モデル、人間本性モデル、合理的個人モデル

*3:→法則・必然性の導出、歴史主義、進化論的歴史観

*4:進歩史観、哲学的・推測的歴史

*5:≒循環史観、有機体論

*6:前者は後者を「通俗的歴史利用法」(p.121)として嘲笑った。

*7:→政治の止揚:だからスペンサーは本書の主たる登場人物たりえない

*8:2006年4月23日追記:このノートに大幅な加筆・修正を施した論考を『関西大学経済論集』第56巻第1号(2006年6月)に発表予定。