乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

大塚久雄『社会科学の方法』

著者は昭和期日本を代表する西洋経済史家。カール・マルクスの経済学とマックス・ヴェーバー社会学を基礎として、近代資本主義成立の諸条件を、とりわけ国民経済の担い手としての「中産的生産者層」に着目しつつ探求した。「大塚史学」と呼ばれるその学問体系は、「丸山政治学」(丸山眞男)と並んで、一時代を築きあげた。

本書には「1.社会科学の方法――ヴェーバーマルクス――」「2.経済人ロビンソン・クルーソウ」「3.ヴェーバーの「儒教とピュウリタニズム」をめぐって――アジアの文化とキリスト教――」「4.ヴェーバー社会学における思想と経済」と題する4本の論稿が収録されている。いずれも講演録がもとになっており、語り口調だけにすらすら読み進められると思いきや、さすが新書界のクラシック(岩波新書青版)だけあって、読者に求められる予備知識はかなりハイレベルである。『資本論』のおおよその目次くらいは頭に入っていなければならない。昨今の大学生が読み通そうとすれば、かなり骨が折れるだろう。

実際のところ、僕は大学院の授業のテキストとして本書を使用している。本書を超久々に*1手に取ったきっかけは、5期生MTK君がこの4月から大学院生となったことだ。彼は学部生時代から社会学に強い関心を示しており、経済学と社会学の二股をかけようとしている。修士論文社会学的な知見を織り込みたいなら、経済学と社会学のアプローチの基本的な違いくらいは頭に入れておいて欲しい。そう思って本書をテキストに選んだわけだ。

超久々に読み返してみて、そこで展開されている議論のあまりの濃厚さに仰天した。そして感動した。特にマルクスヴェーバーの科学的方法の共通点と相違点について丁寧に論じた第1章は感動の嵐で、3回読み返した。

社会科学の場合、その対象は自由な意思を持って生きる人間諸個人の行動の軌跡である社会現象だから、自然現象を対象とする自然科学と同じように十分に科学的と言いうるような認識がどのように成立しうることになるのかが、非常に大きな問題となってくる。著者によれば、社会現象を対象とする科学的認識が可能になるのは、人間を行為へと突き動かす「動機の意味理解」という手続きを通じて「目的論的関連」を「因果連関」へと組みかえることによってである。これだけ読んでも、よく意味がわからないだろうが、著者は具体例*2を駆使しながら「目的論的関連」と「因果関連」との違いを懇切丁寧に説明してくれている。急がず、慌てず、じっくりと読み進めるならば、著者の言わんとしていることはきっと理解できるはずだ。

抽象的で難解な内容を平易な具体例で言い換えるその話術の巧みさは「お見事」の一言に尽きる。「ある特定の観点からの認識」を説明する際の「登山隊と地図」の例、「人間の疎外」を説明する際の「群衆のなだれ」の例など、卓抜な例が数多く。このように説明すればわかってもらえるのか。本当に勉強になる。

著者の個人的な思い入れはマルクスよりもヴェーバーに対してのほうがずっと強い。マルクスについての叙述はやや舌足らずで、本書を『資本論』を読む際の手引書として利用するのは難しいように思う*3が、ヴェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をこれから読もうと思っている人には、本書は第一級の手引き書として役立つはずだ。

初版公刊(1966年)から42年もの歳月が流れたが、まだまだ現役で活躍しうる非常にすぐれた教養書である。

社会科学の方法―ヴェーバーとマルクス (岩波新書)

社会科学の方法―ヴェーバーとマルクス (岩波新書)

評価:★★★★★

*1:初読ではない。ただ、前回読んだのは、それがいつだったのか思い出せないくらいの大昔である。おそらく十数年以上前。だから実質的に初読のようなものだ。

*2:41ページ以下。日本資本主義の発達の原因が例として用いられている。

*3:すぐれた手引書として、内田義彦『資本論の世界』を薦めておく。