乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

黒崎誠『世界を制した中小企業』

一般には無名だが技術力やシェアで世界最高レベルにある「小さな世界一企業」38社*1を紹介している。

こういったきわめて優秀な中小企業が世間にあまり知られていないのは、つくっているのが精密機器や電子機器の部品といった一般消費者の目に触れないものであることや、世界一である事実自体が企業機密で表に出せないことなどが大きな理由になっている。(p.23)

経済学の教科書には決して登場しない生々しい経済の現場の話が満載なので、単純に読み物として面白い。そればかりではない。民間企業就職を志望するすべての関大経済学部生に読んでもらいたい、きわめて実用性の高い本だ。

本書を読めば、抽象的に語られがちな「ビジネス・チャンス」「技術力」「共同開発」の内実を企業が直面する具体的な現場に即して理解できるようになる。また、ともすれば接客バイトや株取引といった卑近な例とともにイメージされがちな「儲ける」という営みを、より広い視野――例えば、シンコーの顧客第一主義、シバタの多角化戦略――から眺められるようになる。その結果、就職活動に対する意識、企業で働くことに対する意識が根本的に変わるだろう。

いくつか抜粋して、内容を紹介しておく。これだけでもかなり有益な情報のはずだ。

前川製作所は「産業用冷凍庫の国内シェアが60-70%、冷凍船の冷凍庫では世界で80%のシェアを有しており、この分野の紛れもない世界トップ企業である。・・・前川製作所を支えているのは、何と言っても抜群の技術力。ライバル会社も「大量の肉や魚を冷凍する大型冷凍庫では、全体を均一に冷やすとか、年間を通じて温度の狂いがゼロに近い状態を保つといった高度な技術を求められるが、前川以外にこれができる企業はきわめて少ない」と言う。(pp.50-1)

岡山市に本社のあるナカシマプロペラは、国内でほぼ70%、世界でほぼ30%弱のシェアを持つ世界最大の船舶用プロペラメーカーである。船舶用プロペラというと聞き慣れないかもしれないが、要するに、船についているスクリューのことである。・・・船舶用プロペラが高い推進力を持つのは当然のことだが、それに加えて、一ヶ月以上も海中で回転する過酷な使用条件のもとで故障しないことが絶対条件となる。もしも太平洋の真ん中で壊れたら、船をタグボートで曳航しなければならず、そんなプロペラをつくった企業はたちまち信用を落とす。さらに今では、音や振動が少ないことも求められる。音がうるさかったり、振動が大きかったりすると、一ヶ月も船上で働く船員にとってストレスの原因になると同時に、エネルギーのロスにもなる。さらに、回転した時に発生する泡と波をなるべく少なくする技術がなければ、優れたプロペラとは認められない。泡と波が発生しているというのは、それだけエネルギーを余分に消費している証拠である。これらのハードルをクリアする製品――つまり、回転に伴う音と振動、それに泡と波を極限まで少なくするプロペラ――をナカシマの技術はすでに開発している。(pp.68-73)

以下に引用する大阪精密機械に関する叙述は本書でいちばん印象深かった。歯車の計測器が環境(騒音)問題の解決に貢献しているなんて、想像だにできなかった。

ノーベル賞技術者を抱え、年間売り上げ2000億円の島津製作所を筆頭に、計測機器メーカーの数は多い。この中で大阪精密機械は、歯車の計測器というきわめて専門的でユニークな市場において、不動の地位を保ってきた。ニッチな分野、それも世界でも数社しかないとされる業界だが、シェアは国内90%、世界で30-40%と推定され、世界のトップメーカーと言っていい。同社の最大の自慢は「最近の自動車が昔と比べものにならないほど静かになったこと」だ。車の騒音がすっかり減ったのは、実は精度の高い歯車が使われるようになったのが最大の理由で、これを可能にしたのは、「わが社の歯車測定器」だという自負がある。(pp.151-2)

広田照幸の一連の著作は、「家庭の教育力が低下している」「少年犯罪が凶悪化している」という「実感」が「事実」とは異なることを教えてくれるが、それと同様に、我々が知らず知らずに抱いている企業に対する「イメージ」も「事実」とはかなり異なっている。「優良企業=有名企業」では断じてない。関大経済学部生が本書からいちばん学ぶべきなのはこの平凡な事実だろう。誰もがその名前を知っている巨大企業を手当たりしだいにエントリーしていくのは就職活動のやり方として非常にまずい。本書のような優れた企業ルポを早い時期にたくさん読んで、一つでもたくさんの隠れ優良企業を頭の中にインプットしておくことこそが、一見遠回りのようで、就職活動成功への近道であるように思う。

世界を制した中小企業 (講談社現代新書)

世界を制した中小企業 (講談社現代新書)

評価:★★★★★

*1:岡本硝子、前川製作所、シンコー、オルガン針、モルテン、ナカシマプロペラ、根本特殊科学、技研、五島光学研究所、マリーンバイオ、ミロク、野田鶴声社、タカコ、竹中製作所、奈良機械製作所、ストラパック、大阪真空機器製作所、太子食品工業、米吾、木地リード、大阪精密機械、本多電子、シバタ工業、日進工具、NSKマイクロプレシジョン、東成エレクトロビーム、タイツウ、三ツ谷、中日本ダイカスト工業、キメラ、共和工業、スタック電子、生体分子計測研究所、クリスタルシステム、日生バイオ、日本マイクロニクス、オープンインターフェース、アズジェント、以上38社。