乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

福田誠治『競争しなくても世界一 フィンランドの教育』

15歳を対象にした「経済協力開発機構(OECD)生徒の学習到達度調査」(PISA2003)において総合トップの成績をおさめたことで、にわかに世界中から注目を集めるようになったフィンランド。最近我が国でも数多くの関連書物が翻訳され、書店に出回っている。本書はそのフィンランドの教育理念と教育制度の簡便なガイドである。4期生K村さんがゼミ・テキストとして探してきたものだ。

フィンランドの教育理念を一言で述べるならば、平等・共存という価値を何よりも優先する「福祉としての教育」である。この理念を実現するために、能力別学校制度・習熟度別編成が廃止され、「できる子」と「できない子」が同じ教室で学ぶ「異質生徒集団」方式(統合教育)が採用されている。

フィンランドは、低得点グループの底上げによって、全体の学力が高くなっていて、しかも高得点グループの得点も高いのである。…落ちこぼしのないことが高学力の秘訣である。それは平等な教育によって保障される。フィンランドでは、その実現のために、特別な手だてがいくつも打たれている。(pp.57-60)

学力差のある子どもたちを同時に教えることには大きな困難が伴う。こうした困難と日々格闘している教師は、社会的に大きな尊敬を集めている。行政側も個々の教師の専門性を尊重・信頼して、彼らが自分の望む方法で教える自由を認めている。フィンランドの教師は本務である授業以外の時間的拘束をほとんど受けない。日本の教師が本務以外の仕事で疲弊してしまっているのとは対照的である。1クラス24名までというクラス規模も、日本と比べれば格段に小さい。ソーシャルワーカーやカウンセラーも学校に配置されている。こうした様々な手だてによって、子ども一人一人への細やかな配慮が可能になっている。

著者は「日本はフィンランドを見習え」と声高に主張しているわけではない。しかし、「私たち日本人の生き方がアメリカ化されて、日本が弱肉強食の社会に突入していきつつある今、この地球上にそうでない国があり、違った生き方をしている人がいるのだと知ることは心強いことだ」(p.63)と言っている以上、「日本が見習うべき相手はアメリカではないのでは?」「日本はアメリカ型資本主義とは異なる資本主義モデルを目指すべきではないか?」という社民リベラル的な問題提起を暗に行っていることは確かだ。

こうした問題提起に対して、僕は「日本はフィンランド・モデルを目指すべき」と即答できない。本書においてフィンランドは美化されすぎている気がするのだ。本書には高福祉を支える高負担の実態についてほとんど説明がない。なぜ地方自治体は財政上の健全性を維持できているのか? 日本ではなぜ維持できないのか? また、教師がそんなにも優秀であるならば、なぜ「教師の欠勤」(p.18)に校長が頭を悩ませているのか? 

実際にフィンランドが素晴らしい国であったとしても、その人口はわずか520万人、首都ヘルシンキの人口は56万人しかない。我が国とは比べものにならない小国だ。数年前、我が国の産業界にリストラの猛威が吹き荒れた時、ワークシェアリングによって雇用維持と景気回復に成功したオランダがにわかに注目を集め、オランダ・モデルとして礼賛されたが、そのオランダも日本とは比較にならない小国である。日本が範として仰ぐには初期条件・基本構造が違いすぎる気がするのだ。

総ページ数が70ページに満たない小冊子にこれらの疑問点の解決を求めるつもりはない。ただ、疑問が尽きない以上、諸手を挙げてのフィンランド礼賛論に対しては、当面の間、慎重な態度をとりたい。

競争しなくても世界一―フィンランドの教育

競争しなくても世界一―フィンランドの教育

評価:★★★☆☆