修辞学(レトリック)とは、本質的には、黒を白と言いくるめてしまうような危険で狡猾な技術である。本書は修辞学のそのような邪悪な本性を物語る4つのエピソードを紹介した「闇の修辞学史」(p.14)である。
これまで修辞学関係の本はほとんど読んだことがない。大昔(十数年以上前)に佐藤信夫氏の著作を2冊ほど読んだ程度だ。そんな僕がどうして本書を手に取ったのかと言えば、本書の第4章が経済思想史家の関心を最近集めつつあるリチャード・ウェイトリーのことを紹介しているからだ。ウェイトリーの経済思想はマルサスに始まるキリスト教経済学の系譜上に位置づけられているが、もともと彼は論理学者として有名である。ヒュームが『奇跡論』で展開した奇跡否定の論理を転覆させる様が紹介されている。ウェイトリーについて書かれた日本語の文献はほとんどないので貴重である。ウェイトリーはヒューム論駁の論法をバークの『自然社会の擁護』――僕の研究者としてのデビュー論文はこの『自然社会の擁護』を論じたもの――から学んだらしい(p.159以下)。これまた非常に興味深い情報だ。今後の僕のバーク研究のネタとして使えるかもしれない。
古代ローマで非現実的な論題で修辞学が訓練されるにいたった背景の説明(83ページ以下)には大いに啓発された。たしかに「現代のディベート教育のように、論証の方法や論理の組み立てについてはほとんど何も教えず、ただデータの収集の指導にのみ力を注ぐというやり方では、生徒に、議論に上手になったという錯覚を与えているにすぎない」(p.85)。「議論において知識は重要であるがゆえに、議論の訓練では(特に初歩の段階では)あまりそれを重視しない方がいいのである。知識の即効性に惑わされて、手間のかかる技術の習得がおろそかになってしまうからだ」(pp.84-5)。今後のディベート指導の際にはぜひとも念頭に置いておきたいアドバイスだ。
軽妙でユーモアに富んだ文体。気軽に読めて、しかも知的好奇心を満足させてくれる。お薦めの一冊だ。
論争と「詭弁」―レトリックのための弁明 (丸善ライブラリー)
- 作者: 香西秀信
- 出版社/メーカー: 丸善
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