乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

トム・モリス『アリストテレスがGMを経営したら』

10年近く本棚に眠っていた。もっと早く手にとって読むべきだった。大いに後悔している。

著者トム・モリスは、経営学から哲学・宗教へと転じ、また経営学の世界へと戻ってきた異色の経歴を有する。本書はビジネスと人生のポジティブな関係――企業のエクセレンスと人間のエクセレンスの基盤の本質的同一性――を哲学的に洞察しようとする。

「幸福とは何か?」(第1章)、 「人生の意味とは何か?」(第6章)、「ビジネスの本質は?」(第7章)――これらは本質的に同じ問いである(と考えるべきである)。幸福とは、世界を豊かにする新しいものを創造する営みに参加し、達成感を獲得することにある。そして、人生の意味は、このような創造性を愛することである。私たちはビジネスにおいて創造性への愛を具体化することができるし、これこそがビジネスの根源的な使命である。この理想をどこまで実現しているかによって、そのビジネスが良いビジネスであるか否かが決まる。どれくらい利益を上げているかは関係ない。*1世界を豊かにする新しいものの創造には、協働によるパートナーシップが不可欠である。

著者は、アリストテレス政治学』を引き合いに出して、次のように結論づける。

アリストテレスは、どんな都市も、非常に多様でありながら、そのなかに理想的な統一があるのを見抜き、それを「良く生きるためのパートナーシップ」と定義したのである。アリストテレスは、都市とは哲学的に見て「協働」、つまりある目的のもとに結成されたパートナーシップであり、その目的は良く生きることであると考えた。良く生きること、すなわち人間的な繁栄であり、人間的なエクセレンス。これが都市形成の要なのである。
(中略)
・・・ビジネスとは何だろう。家族や近所づきあい、都市などと同じように、ビジネスも良く生きるためのパートナーシップだと考えるべきだ。どんな種類のビジネス関係でも、常に、良く生きるためのパートナーシップと捉えるべきなのである。
(中略)
・・・ビジネスとは、人々が良く生きるためのパートナーシップを築けるような構造をつくり上げ、それを維持したり修正したりする活動すべてを指すのである。
(中略)
もしアリストテレスGMを経営したら――そこに勤める人はみな、自分の会社は巨大なパートナーシップだと考えるだろう。(pp.114-6)

このようなアリストテレス的なパートナーシップ観は、僕の主たる研究対象であるエドマンド・バークのなかにも確実に流れ込んでいる。バーク研究者として綿密に追跡調査する必要を感じている。

ビジネス倫理の勉強を始めてこの春で4年目に突入したが、ようやく僕自身の心情にぴったりフィットしたビジネス観と出会えた気がする。読み進めるうちに興奮のあまり身体が内側から火照ってくるのを感じた。それほどまでにぴったりフィットしたのだ。挨拶の倫理的意味(第8章)などは、かつて自分の論文(「人権・教育・市場」)で言及した論点でもある。「倫理はトラブル回避の手段ではない」「倫理の基本は他者を尊重する態度にある」「日常の小さなことに始まる」「善への投資に失敗なし」と明言してもらえると、まさしく「我が意を得たり!」という気分になった。

タイトルはアリストテレスの名前を掲げているが、「創造性への愛」に焦点を絞るならば、アリストテレスの議論よりもプラトンのそれ(とりわけ『饗宴』)のほうが参考になるような気がする。また、プラトンイデア論における洞窟の比喩を引き合いに出しつつ、目先の名声や富にとらわれがちなビジネス界・政界のリーダーをやんわりと諌めている件(第11章)は、なかなか含蓄が深い。今後僕はこの方向でビジネス倫理の勉強を進めていくつもりだ。

画期的な内容。訳文もよくこなれていて読みやすい。すでに絶版となってしまっていることが惜しまれる。願わくば、ちくま文庫日経ビジネス人文庫あたりでぜひとも復刊していただきたい。

アリストテレスがGMを経営したら―新しいビジネス・マインドの探究

アリストテレスがGMを経営したら―新しいビジネス・マインドの探究

評価:★★★★★

*1:二次的なものにすぎない。良いビジネスであるなら利益は必ず後からついてくる。