5期ゼミのテキストとして読んだ。ゼミ生のM島さんとS井君が探してきた。
本書は、「経営の神様」として名高い松下幸之助が、自身の経営哲学・仕事観を、苦悩の青少年時代を振り返りながら、これから社会に出て行く若者にやさしく語りかけたものである。彼が言わんとするところはいたってシンプルだ。各個人が与えられた仕事に情熱と使命感をもって――「いのちをかけて」とまで言う――打ち込むことの素晴らしさを、表現を変えながら繰り返し説いている。同じお金でもあぶく銭と汗水たらして稼いだお金とでは値打ちが違う。お金は後からついて来るから、商売気は抜きにして、素直・謙虚・誠実さに仕事をするべきである。不当の利得を懐にするべきではない。本当の成功とは自分の適性・運命に素直に従って生きることである。等々。
本書が公刊されたのは40年以上も前の1966年である。当時の日本は高度成長の真っ只中にあり、まだ生産力が低く、明らかにモノ不足であった。しかし、高度成長が終焉し、低成長時代からバブル景気、平成不況を経た今日、我が国を取り巻く経済環境は大きく変わった。モノ不足経済からモノ余り経済へ、実物経済からマネー経済へと、根本的に変化した。それにもかかわらず、幸之助人気はいっこうに衰える気配を見せない。2007年の大学生の心すら惹きつけてやまないようである(少なくとも5期生の評判はかなり良かった)。それはなぜだろうか。
おそらく、武士道精神と商人道徳の良質な部分が絶妙にブレンドされているという意味で、彼の経営哲学・仕事観は日本人の伝統的心情にフィットしやすいからだろう。*1例えば、「肚」「練る」(p.116)といった言い回しが何気なく使われているが、齋藤孝はこのような「腰肚言葉」の中に「人間関係や仕事の質を、身体の構えとして実感する伝統」*2を見ている。*3トム・モリス『アリストテレスがGMを経営したら―新しいビジネス・マインドの探究』は古代ギリシャ哲学の知見を援用して企業と人生のエクセレンスの本質を見極めようとするが*4、著者は腰肚文化の伝統に照らしつつ同じ問題をいち早く考察していたと言えるだろう。僕がモリスの本を大好きになった理由が今になってようやくわかってきた。ネタは古代ギリシャ哲学でも主張内容がすぐれて日本的(つまり松下的)だったため、親近感が持てたからではないだろうか。
- 作者: 松下幸之助
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 1999/03
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 8回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
評価:★★★☆☆
*1:もっとも、彼が創設した松下電器産業はここ数年大きな変革の渦中にあるようだ。手厚い福利厚生、雇用の維持という聖域にメスが入れられた。このことについて僕はまだ勉強が足りないので、評価は控えさせてもらうが、松下イズムの本質が問い直されていることは間違いないようだ。
*2:『子どもたちはなぜキレるのか (ちくま新書)』p.137
*3:そうした伝統の衰退と「ムカツク」「キレる」の隆盛をパラレルに捉えている。