本書も前著『経済学の名著30』*1同様に著者ご本人から賜った。感謝。
著者自身が「まえがき」で書いているように、本書は前著の応用編として、経済思想史から眺めてみた金融危機と日本経済の光景を描こうとするものである。本書を構成する4つの章はもともと独立に書かれたものであるが、大幅な加筆が施された結果、単なる論文集ではない一書としてのまとまりを示すに至っている。
本書の主張を(やや乱暴ながら)まとめておくと、次のようになるだろう。
2003年からの日本の景気回復に関して、政府は「構造改革の成果」と主張したが、それは誤りである。景気回復を牽引したのは、外需(輸出)の増大である。アメリカ経済がバブルに向かい、外需が伸びたことによって総需要が拡大した。日本の金融緩和政策(低金利政策と量的金融緩和政策)によって日米間で約3%もの金利差が維持され、円キャリートレードが活発化し、ドル高円安が趨勢となり、アメリカの資産(特に住宅)価格が上がって消費意欲が刺激され、日本からの輸出増を帰結した。日本の景気回復は決して自律的に[=構造改革の結果として]成し遂げられたわけでない。構造改革が日本にもたらしたのは、慣行・規制などの「構造」の解体、市場の「分断」、将来への「確信」の動揺でしかなかった。むしろ、日本は構造改革にもかかわらず回復へ向かった、と言うべきだろう。
著者は構造改革論の誤謬を厳しく告発するが、その判断規準・論拠を著者は過去の偉大な経済学説に求めている。前著には27名の経済学者が登場する*2が、本書ではその中でもロック、ヒューム、ステュアート、スミス、メンガー、ナイト、シュンペーター、ポランニー、ケインズ、ハイエク、ロールズらの知見が援用されている。著者が理解する過去の偉大な経済学説(とりわけイギリスのそれ)の伝統は、すぐれて経済の金融化・バブル化に批判的であった。その伝統は、慣行・規制の撤廃を説く市場原理主義とは無縁であって、むしろ逆に、過度な市場化に制限をかけるための条件としての慣行・規制の重要性を専ら説いていた。
僕が関西大学で「経済学説史」を講じるようになって、早いもので12年が過ぎた。決して短いとは言えない年月である。いかにして経済思想史研究を現実経済の諸問題に架橋するかという問題は、どうすれば魅力的で知的好奇心をそそる授業を学生たちに提供できるかという問題と結びついて、僕の頭を絶えず悩ましてきた。本書はこの問題に対する見事な模範解答であるように思われる。なるほど、「共和主義」が事実上「反バブル」の思想的伝統として理解されている(第4章)など、その大胆な単純化・一般化――金融危機が本書の主題である以上、意図的な単純化・一般化であることは明白だが、それでもちょっと大胆すぎるかも――が、共和主義思想史研究の末席を汚す僕としては気にならないわけでもない。しかし、細かい詮索は専門家向けの著作に任せておけばよいのではないか? 一般読者に向けて経済思想史の知見の現代的意味を語ろうとした本書の目的は十分すぎるくらいに達成されている。また、2003年以降の日本経済に関する著者の理解についても、僕は全面的に同意見である。「よくぞ言ってくれた!」と溜飲が下がる思いだ。
僕もいつかこんな一書をものしたいものである。もっとも、現時点での僕の能力では、論文を一本を書くだけで精一杯なのだが。*3
- 作者: 松原隆一郎
- 出版社/メーカー: 新書館
- 発売日: 2009/07
- メディア: 単行本
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