乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

野村総一郎『うつ病をなおす』

僕の周囲にうつ病の人が増えている。実際に増えているのか、「自分はうつ病だ」と公言しやすくなっただけなのか、どちらが真実に近いのか、僕にはわからない。両方とも真実なのかもしれない。友人・知人ばかりではない。10年も大学に勤務していると、「自分はうつ病だ」と告白してくる学生とも少なからず遭遇してきた。その数は年々増えてきているように思われる。そういう学生の支援も今や大学教職員の重要な仕事の一つとなっている。もちろん、病気を隠そうとする学生もいる。うつ病の症状は傍目には無気力や怠惰やわがままに見えやすい。教師としてはゲキの一つも飛ばしたくなる。でも、ちょっと待て。うつ病患者には「叱咤激励してはいけない」(p.119)。「自殺願望はうつ病の本質的な部分」(p.52)であって、対応を誤ると大きな悲劇につながる恐れもある。もはやうつ病について「知らない」「興味がない」ではすまされない。知らなければならない。興味を持たなければならない。

本書は現役専門医によるうつ病の解説書である。豊富な症例と平易な解説(症状・診断・治療法)は類書の中でも群を抜いているように思う。。うつ病をめぐる様々な(特に投薬治療に関する)無知・偏見は本書一冊を読むだけでも劇的に解消されるだろう。

映画「カッコーの巣の上で」の終盤に出てくる通電療法のシーンは、その残酷さゆえに鮮烈な印象を残すが(ジャック・ニコルソン演じるマクマーフィーは廃人同然になってしまう)、この治療法についても正しい知識(安全性が高く、副作用も少なく、有効性が高い)が与えられる(pp.145-9)。

5章および7章で展開されている、うつ病になりやすい性格についての分析は、非常に興味深い。うつ病になりやすい人は、凝り性でこだわりが強く几帳面である。このような性格は、事態がルーティン化していて、成功への段取りが見えているような社会の安定期には、非常に有利に働く。しかし、何が大切で何がどうでもよいことなのかが見えにくい新しい環境では、徹底的にもれなく全部やろうとする性格は、むしろ非効率・失敗の原因となる。行動の重みづけができないために、どんな行動をとっても後悔が残ってしまう。後悔したくないから、すべてを行なおうとする。結局、絶え間ない不全感とストレスに苛まれる。

ちなみに最近うつ病が日本で増加していることは、日本社会全体が旧来のルールを見失いつつあることと関係しているかもしれない。つまり、重みづけができず自己決定能力の低さゆえに社会のルールに頼る傾向の強いうつ病者が、判断基準を失って、うつ病者の増加を生んでいる可能性がある。(p.198)

確かに、僕の周囲でうつ病を患ってしまった人には、こうした性格上の傾向が強かったように思う。僕は学生時代に大親友の一人を失っているが、今となってはうつ病が原因だと確信するばかりだ。家族・友人・知人がうつ病になったら、とにかく「可能なかぎり休養させる」(p.116)のがよい。「気分転換にのんびり温泉でも出かけよう・・・などと誘うことも大禁忌である」(p.119)とのこと。これだけ知っているだけでも違うはず。

なお、作家・北杜夫氏が自身の壮絶な躁鬱病(正確には「双極性障害」と言うらしい))体験をコミカルに綴った『マンボウ恐妻記 (新潮文庫)』も、症例を知るのに役に立つはずだ。

うつ病をなおす (講談社現代新書)

うつ病をなおす (講談社現代新書)

評価:★★★★☆