乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

石井淳蔵『ブランド 価値の創造』

6期ゼミのテキスト(ゼミ生自身が選んだもの)として手に取った。

現代社会の富の基本形態は、紅茶、石鹸、ティッシュカップ麺、シャンプーとかいった商品(マルクス資本論』)というよりも、「リプトン」「アイヴォリー」「クリネックス」「カップヌードル」「メリット」といったブランドである。したがって、現在資本主義経済についての研究は商品ではなくブランドの分析からはじめなければならない。果たしてブランドの価値とは、いったいどこからどのようにして生まれるのか? それは群集心理や共同幻想のようなものなのか?(pp.3-5)

ブランド価値の誕生については、従来2つの対照的な説が支配的であった。消費者の消費欲望がブランド価値のもとになっているとする説と、制作者や経営者がブランドに込められた意図がブランドの価値のもとになっているとする説である。著者の立場はどちらでもない。これらの2つの説はブランド価値に実体的な根拠(欲望・意図)を求めている点において共通のあやまちをおかしている。著者は、岩井克人貨幣論』から大きなインパクトを受けながら、ブランドの創世記と貨幣の創世記に関する議論を重ね合わせつつ、ブランド価値の根拠は非実体的な「何か」だと主張する。ブランドと製品群は相互に支えあって、一つの世界を作り出している。それは、お互いがお互いを前提とすることで根拠づけられるという自己言及的な関係である。この互いに支え支えられるこの関係(非実体的な「何か」)は、単なる群集心理や共同幻想にとどまらない社会的実在だと言える(pp.9-13, 134-7)。

以上が本書の議論の背骨にあたる。ブランド価値の生成過程を論理的に分析した第4章前半は、『資本論』の価値形態論の知識を前提とするし、その他、言語論・記号学の予備知識も必要で、初学者がすらすら読み進められるものではない。内容を十全に理解するにはかなりの労力を要する。しかし、随所で紹介されている身近なヒット商品、ロングセラー商品についてのエピソード(グリコのポッキー、コカ・コーラetc.)はそれだけで十分に面白い。初学者は初学者なりに楽しく読めるはずだ。

無印良品」は、「コカ・コーラ」と並んで、本書で最も頻繁に取りあげられているブランドの事例だが、その最大の理由は、「無印良品」という国産ブランドが使用機能からも技術からも自由なもっとも純粋な形のブランド(ブランドネクサス型ブランド)としての地位を獲得しているからである(pp.56-76)。「無印良品」はもともと西友のオリジナルブランドとしてスタートした。高校時代、セゾン・グループの経営への興味から経済学に目覚めた僕としては、面白くてたまらない分析事例であった。

1999年公刊なので、事例がところどころ古さを感じさせる(それが本書の欠点とはなっていいないが)。当時SONYの「VAIO」ブランドは未成熟だったのだな(pp.153-4)。*1

ブランド―価値の創造 (岩波新書)

ブランド―価値の創造 (岩波新書)

評価:★★★★☆

*1:ちなみに、今この文章を打っているPCは、2000年に購入した「VAIO」である。7年たっても現役バリバリで働いてくれている。愛機に感謝。