畏友山中さんの第一作をこのたび機会あって再読した。
『隷従への道』から『自由の条件』を経て後年の『法・立法・自由』『致命的な思い上がり』にかけてのハイエクの議論を丁寧に読み解き、その力点の変化(義務論から帰結主義へ、帰結主義的義務論から義務論的帰結主義へ、楽観主義から悲観[懐疑]主義へ)をわかりやすく説明している。筆者が強調するのは、ハイエクにおける「市場秩序は人間の自然感情に反する」という認識の高まりである。それゆえにこそ、市場秩序それ自体を維持するための政治権力(社会保障制度、議会改革、等々)の必要性が力説されるようになったのだ。*1
晩年のハイエクを深刻な悲観に追い込んだのは、人間というものは市場の規律からの要請とそれに反逆する自然感情からの本能的欲求との間の矛盾に挟まれた哀れな存在でしかないのだという懐疑的な人間観の深まりに他ならなかったのである。(p.128)
筆者が描き出すこのようなハイエク像は、市場原理への全面的信頼と“国家の退場”を説くネオ・リベラリズムの潮流の中核的位置に彼の「自生的秩序」論を置くような通説的理解を全面的に退ける。そのような理解はハイエクの全体像を過度に単純化するものにほかならない。
ハイエクの自生的秩序論は、“自生的”という言葉から受ける第一印象とは異なって、市場秩序のスムーズな成長を意味するものでもなければ、政治権力の働きを一切排除するものでもなかった。むしろそれは、反市場的な自然感情の存在によって市場秩序が実際にはなかなか出現し得ないことを率直に承認する議論であったと同時に、幸いにも出現できた市場秩序を守るために正しく使われさえするならば、政治権力の行使をむしろ肯定するものだったのである。(p.156)
ハイエクは断じてネオ・リベラリズムの思想家でない。実際、ハイエクの議論を丁寧に追跡すれば理解できるはずだが、民間の投機活動に対する批判はハイエクには見られないものの、それをハイエクの精神に反するものだと見なしても差し支えない(p.197)。
以上が本書の骨子であるが、個人的にいちばん印象に残ったのは、「市場秩序は人間の自然感情に反する」がゆえ、ハイエク的エリートは一般民衆に対して「努力すれば報われる」という信念(嘘、迷信、疑似宗教)を方便的に奨励する必要がある、という論理を筆者が抽出したことである。それを「ハイエクの宗教思想」と呼んでよいのかどうかまではわからないが、たいへん腑に落ちた。
彼自身は信じていないにもかかわらず、たとえある特定の階級イデオロギーとして設計主義的に使われるわけではないとしても、民衆の間での根強い擬人観的な信仰への傾向に配慮しつつ、市場秩序に適合的な迷信を全ての者の利益となる(とハイエクが信じる)市場秩序を守るための道具として、すなわち進化論的な合理性を心得たエリートの用いる“高貴な嘘”として、あたかも庭師が植物を育てる場合のように社会過程の行方を大まかに制御するために利用することについて、ハイエクは少なくともその含みを持たせていたのではないかと筆者には思われるのである。(pp.151-2)
本書の副題は「市場秩序にひそむ人間の苦境」であるが、それを緩和してくれるのが「努力すれば報われる」という信念でなかった場合、人間はその信念をカルト宗教や時代遅れのナショナリズムに代替させてしまうのではないか? こうした僕の疑問に答えるかのように、筆者は以下のように述べて本書を結んでいる。
・・・市場経済・資本主義の自生的普及を説くに当たって、ハイエクが市場に親和的な宗教的規範の重要性を認めていた・・・。
市場において「どうして自分の所得や資産が増減されなければならないのか、どうして自分が一つの職業から他の職業へと転業しなければならないのか、欲しいものを手に入れるためにどうして自分だけこんなに苦労しなけれればならないのか」――こうした問い、すなわち市場における“なぜ”という問いは、やはり人間として、どうしても発せずにはいられない性質のものだろう。確かに一方でハイエクは、そうした問いに明確な答えを見つけることはできないと述べていた。それは各人の腕と運とによって決まるとしか言いようがない、それが複雑現象たる市場の本質である――という冷淡な主張をわれわれに突きつけていたのである。にもかかわらず、そのハイエクが、市場における“なぜ”という問いに答えてくれるものとして、結局は宗教的規範のもつ力に依拠せざるを得なくなったのであった。この事実は、マルクス主義なきあと“宗教の復讐”(ケベル)に揺れる現代において、自由市場経済の今後を考えていく上で、非常に大きな重みを持っているのではないか――筆者にはそのように思われてならないのである。(pp.228-30)
知的刺激満点の快著である。*2
- 作者: 山中優
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2007/03/09
- メディア: 単行本
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評価:★★★★★
*1:ある思想家をトータルに理解しようとするにあたって、その思想の両義性に着目するアプローチに、僕は惹かれやすいようだ。本書はハイエクの自由論の両義性(義務論と帰結主義の併存)に着目している。ヒュームの文明社会把握の両義性に着目する森直人『ヒュームにおける正義と統治』も僕のお気に入りの一冊だ。ほかならぬ僕自身、自著『イギリス保守主義の政治経済学』において、バークの文明社会把握の両義性――森のそれとはニュアンスを異にするが――を強調している。
*2:橋本努氏(北海道大学)による書評はこちら。http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Book%20Review%20on%20Yamanaka%20Masaru.htm ハイエクの専門家だけあって、さすがに読み込みが深い。「もし山中氏の「弱い不適合説」から、「規制緩和慎重論」しか導かれないとすれば、それはハイエク読解として貧困であるだろう」というコメントは、あたかも僕自身の保守主義理解に対するコメントのようで、身が引き締まる。