乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

小野善康『不況のメカニズム』

著者は、ケインズ『一般理論』に真正面から向き合い、ケインズ自身の論理展開に潜む混乱や欠陥を指摘・修正しながら、新古典派の考え方では論理的にありえない「需要不足」の発生メカニズムを解き明かす。*1

総需要は投資需要と消費需要から構成されるわけだが、

ケインズが多くの精力を割いて分析した投資不足のメカニズムは、実は、需要不足を説明する上ではあまり重要でない。資本設備が蓄積されれば投資の機会が減って、最終的には投資が消滅するからである。特に、資本設備が過剰であると言われる不況期には、実質利子率が下がっても民間企業が投資を増やすはずがない。そのため、投資不足をいくら説得的に説明したところで、そんなことはじめからわかっているということになる。長期不況を説明するのに決定的に重要なのは、投資不足よりも消費不足である。
新古典派の世界では、消費不足も起こらない。物価が下がって人々の保有する貨幣の実質価値が増えていけば、消費はいくらでも拡大するから*2、たとえ投資需要がゼロであっても需要不足にはならず、完全雇用生産量はすべて消費のために需要される。・・・。
新古典派経済学の持つこの性質をケインズは消費関数をおくことによって回避したが、それでは同義反復で、消費は伸びないとはじめから仮定しているにすぎない。(pp.163-4)

ケインズは、消費についてはそれが所得だけに依存し、さらに、所得の一部しか消費に回らないという消費関数を仮定して、実質残高効果を無視した。そのため、消費が物価とは無関係になり、物価がいくら下がっても増えないことになった。これでは消費の限界を論証したのではなく、はじめから仮定したにすぎない。(p.160)

実質残高効果があれば、需要不足のもとで発生するデフレが実質貨幣量を拡大するから、投資がなくても消費が増えて完全雇用が実現されるはずである。・・・需要不足による不況を理論的に説明するには、安易に消費関数を仮定するようなことはせず、物価が低下しても消費不足が続くことを説得的に説明できる理論の構築こそ必要なのである。
それでは、ケインズの世界において、消費関数に頼らずに消費不足を説明することができるだろうか。 (p.123)

以上のような問題意識から、著者は「難解で不可解」と評されてきた『一般理論』第17章に着目して、その議論を整理し、とりわけケインズ自身が提示した時間選好率の概念を詳細に検討することによって、流動性の罠が投資だけでなく消費まで抑えてしまうことを論証する。流動性の罠は資産選択の理論としてのみならず、消費と貯蓄の選択の理論としても読むことができる、というわけである。

需要不足に陥った(非自発的失業が存在する)経済において有効な政策として、著者は公共事業によって労働需要を増やすべきだと主張する。それは従来のように需要の波及効果(乗数効果)*3を期待するからではない。需要不足で労働資源が余っている状態では、公共事業で労働力を使っても、他の生産は阻害されず、社会的コストがゼロだからである。構造改革論者は何が本当の効率化かという点を誤解している。新古典派の市場原理が効率化をもたらすためには、需要不足がなく完全雇用が成立していることが必須条件である。非自発的失業が存在する場合には、財政出動によって打ち捨てられていた貴重な労働資源を少しでも役に立つ物の生産に向けることが、真の効率化につながる。

100万円の税金を集め、それまで活用されていなかった余剰労働力を使って作られた社会資本は、たとえそれが50万円分の価値しか持たなくても、その分が純粋な便益として残る。投資主体が民間であれば、100万円を使って50万円の価値しか作れないなら、差し引き50万円の赤字となるから、その事業は決して行われない。しかし、社会的にはその事業はやった方が効率面でよい。そのため政府の介入が必要となる。(p.87)

構造改革論者が唱える効率化とは、成功者だけにとっての効率化であり、日本経済全体にとっての効率化ではない。

結局、新古典派経済学の市場原理に基づいて行われた構造改革は、ほとんどの場合、効率とは無関係の、成功者による利益誘導である。(p.205)

著者はケインズ政策こそが真の効率化政策であることを繰り返し力説している。ここに貧困層の救済といった倫理的・社会(福祉)政策的な意味合いは一切含まれていない。

刮目の書である。日本人でよかった。このような良質な著作を、母語で、しかも新書で読むことができるのだから。その喜びを噛みしめている。決してすらすら読み進められる代物ではないが、米百俵(p.58)、ワークシェアリング(p.142)、夕張市(pp.146-8)、ゴーン改革(p.182)、もったいない(p.202)など興味深いエピソードも多数散りばめられているので、学部生であっても臆さず果敢にチャレンジして欲しい。*4「経済学説史」講義の受講者アンケートで時折「nakazawa先生は(スミスをあれだけ褒め讃えるのに)どうしてケインズ政策を支持するのですか?」と尋ねられるのだが、その答えは本書に隠されている。

なお、この「乱読ノート」でかつてとりあげたことのある『サイバー経済学』*5の著者・小島寛之さんもご自身のサイト*6で本書を激賞している。

評価:★★★★★

*1:『一般理論』に即しながら、『一般理論』を読み破る。『資本論』に対する宇野弘蔵の姿勢を想起したのは、僕だけだろうか?

*2:これがいわゆる「実質残高効果」である。

*3:乗数効果は起こり得ない、というのが著者の立場である。

*4:かつてゼミテキストとして利用させてもらった『景気と経済政策 (岩波新書)』『誤解だらけの構造改革』も文句なしの名著なので、併せて読んで欲しい。

*5:2003年6月 http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nakazawa/reading2003.htm

*6:http://wiredvision.jp/blog/kojima/200706/200706120108.php