乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

和田秀樹『「すぐれた考え方」入門』

第3章が「「複数の原因」を考える」と題されていたので、「マルサスの経済学方法論(特に複合原因論)の研究に使えるかも」と期待して本書を手に取ったのだが、残念ながら期待外れだった。その話題は本書にほとんど登場していない。また、著書を量産する著者だけあって、(仕方ないとは思うが、)同じネタの使い回しが散見される。メランコ人間とシゾフレ人間に関する件(p.71以下)は、先頃読み終えたばかりの『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』にも登場していたこともあり、「またこの話か」とやや食傷気味の感は否めない。

しかし、動機理論の簡便なまとめ(pp.41-5)はかなり勉強になったし、愛国心の新しい見方についての件(pp.19-20, 179-82)も、僕の専門領域に引きつけるなら、急進派牧師リチャード・プライスの演説『祖国愛について』(1789年)に通じるところがあって、たいへん興味深かった。

著者の政策提言は、地位と報酬を切り離して高齢者を75歳まで雇用すべきである(p.33-7)とか、凶悪な性犯罪者に対して強制的なホルモン投与(性欲減退)や陰茎切断手術もやむをえない(pp.142-3)とか、かなり過激である。ディベートのテーマに採用して学生に議論させると面白いかもしれない。

著者は、高齢者を専門とする精神科医だけに、高齢者雇用との関係から、雇用問題全般についても積極的に発言している。以下に引用する一節*1には僕自身も大いに啓発された。

企業のリストラの効用について、私はどちらかというと懐疑的である。
むしろ、今ではすっかり悪者となったが、かねてから雇用を保証してきた「終身雇用」にも、いい点はたくさんあると考えている。とくに経済全体の視点から見ると、リストラはプラスよりマイナスの面が大きい。
たとえば、製造業は、円高の際に何度となく合理化をすすめたため、実際の売上高に占める人件費の比率はそれほど高くはない。高くても10%前後とされている。要するに、人件費を半分に減らすほどのかなり大胆なリストラをしても、ぜいぜい売上高の5%くらいしか経費のカットはできないのだ。(p.38)

著者はフィンランドの国際競争力と(その基盤である)教育を終始ほめたたえているけれども、フィンランドが徴兵制採用国である事実にはまったく触れていない。なぜ? フィンランドの一側面しか描かないのでは、本書の趣旨に背いているような気がするのだが。小国のメリットとデメリットは同じコインの表と裏であって、切り離すことはできないように思う。

評価:★★☆☆☆

*1:他の著書で使い回されているネタのようだが。