乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

産経新聞取材班『総括せよ!さらば革命的世代』

学生運動、とりわけ1968〜9年に最盛期を迎えた全共闘運動には、昔から強い関心を持っている。

理由はいろいろだが、第1には、自分が1968年生まれであることが大きい。自分が生まれた頃に起こった出来事は、たとえ記憶に残っていなくても、その時代の空気を吸って育ったという揺るぎない事実があるために、生まれる前に起こった出来事よりも親近感を覚えてしまう。文化大革命に強い関心を持っているのも、同じ理由からだ。*1

第2には、自分の教わった先生が、なぜか皆おしなべて、この時代に学生生活を送った世代の方々だったからだろう。自分の直接の恩師であるT中先生・S藤先生はともに1949年生まれ。中学・高校時代に学ぶことへの興味をかき立ててくださった世界史のH田先生、浪人時代に英語を教わった予備校講師O先生も全共闘世代だ。H田先生は授業中に学生運動の話をよくしてくださった(面白かった!)し、O先生にいたっては、ご本人が本書の51ページに登場されている。僕にとってバブル経済や冷戦終結に相当する経験は、先生方にとって全共闘運動であったはず。自分に多大な影響を及ぼしてくださった先生方の原体験を少しでも追体験したい。先生方を人間としてもっと深く知りたいのだ。

第3には、自分が大学の教師になってしまったからだろう。ほとんど毎日、何らかの形で学生と接しているわけだが、「昔の学生と比べて何が同じで何が違っているのだろう?」と日々考えずにはいられない。サブタイトル通り、40年前のキャンパスの姿を知ることで、今の学生についてもっと深く知りたいのだ。

京都に出てきて最初に借りたアパートが、京大熊野寮のすぐ近くだったことも、案外大きな影響力を及ぼしたかもしれない。熊野寮は京大の学生運動の拠点の1つだった。寮の外壁には、派手なゲバ文字で書かれた政治的スローガンが掲げられていた。それを毎日目にしていた。

本書は産経新聞の連載記事を書籍化したものである。比較的若い世代(30代後半〜40代前半、僕と同世代)に属する記者が全共闘世代に対して行ったインタビューがもとになっている。重信房子ら、全共闘運動のリーダーだった当事者(有名人)が多数登場しているが、それが本書の「売り」なのではない。本書の「売り」は、末端の「兵士」として現場の最前線で活動していた人たちに対しても、また、全共闘運動の「敵」であった警察関係者や右翼に対しても、丁寧にインタビューを試みることで、全共闘運動の時代をできるだけ客観的に描き出そうと試みている点にあると言える。こうした編集方針ゆえに、本書はたいへん読みごたえがあり、僕の関心に見事に応えてくれる内容であった。

「機動隊員が見た許せぬ光景」(pp.70〜84)は特に読みごたえがあった。いちばん印象に残ったのは、やはり、わが母校・大阪市大についての記述である。

1969年10月4日、大阪市住吉区大阪市立大学。1月の東大安田講堂攻防戦から約9カ月。各地に広がった全共闘と呼ばれる学生たちの反乱はとどまることを知らず、この日朝、全国の公立大で唯一「紛争重症校」と呼ばれた市大当局からも、大阪府警本部に機動隊の突入が要請された。
「あいつらと僕らはほとんど同じ世代。こちら側にすれば、親のすねをかじって好き放題しやがってという思いは、確かにあった」
この日、最前線でバリケードに突入した元府警機動隊員の宮崎二郎さん(66)=仮名=は振り返る。・・・。
戦後間もなく生まれたいわゆる団塊世代は約800万人。大学全入時代といわれる現在とは異なり、この世代が18歳になった60年代後半の大学進学率は15%ほどだった。「金の卵」として地方から集団就職した人や、高卒で社会に出た人が圧倒的に多く、大学進学できる家庭環境は「裕福さ」の証左でもあった。
・・・。
学生たちに一定の“理解”を示した宮崎さんですら、いまだ許せない光景があるという。バリケード内の片隅で、図書館の本を燃やした形跡を見つけたときだ。季節は秋。夜は冷え込み、籠城生活もつらかったのかもしれないが、学生たちが本を燃やして暖を取ったことに無性に腹が立った。
「われわれだって社会に不満がなかったわけじゃない。ただ、この社会には勉強したくてもできないやつだってたくさんいたんや。寒さくらい我慢できない連中が、何が闘争だ、何が革命だ。甘ったれるのもいいかげんにしろと怒鳴りつけたかった。」(pp.70-4)

炎上する時計台に突入する機動隊員たちの写真(1969年10月)がこの記事に添えられている。その時計台は、自分が学生時代に見慣れた時計台であるだけに、余計にショッキングである。本当にあの場所で、そんな事件があったのか・・・と。

勤務する関西大の名前も、当然のことながら、記事に登場していた。

「学問の自由」「表現の自由」を保障する言葉だったはずの大学自治や学生自治。それはもはや、キャンパスから消えつつあるのだろうか。
関西大学では08年5月、キャンパスで大麻を密売して大麻取締法違反で逮捕された学生が大阪府警の調べに「大学の中なら自治が保障されていて警察が来ないので安全と思った」と供述している。
関西大のある教員は「学生の中では大学自治という言葉は死語に近い」と話し、さらにこう続けた。
「学生は特にこの10年で、ずいぶんと様変わりした。授業の出席率は高くても消極的な学生が多い。ダブルスクールなど学外活動の参加も増えているためか、大学への帰属意識も薄くなっている」(pp.194-5)

この記事の内容を否定するつもりはない。しかし、経済学部は関西大で唯一自治会が存続している学部である。教員が学生に自治を教えるというのも変な話だが、大学が大学であるためには、そういう教員側の努力も必要なのではないか。学生が自らを「生徒」と呼ぶことが普通になりつつある時代だからこそ、学生に学生としての健全なプライドを涵養する必要が高まっているのではないか。

最後に、あえて説明するまでもないことかもしれないが、タイトルにもある「総括」とは、全共闘時代を象徴するキーワードである。もともとは「物事を一つにまとめ、締めくくること」を意味する言葉だが、そこから「左翼運動において、闘争の成果や反省点を明らかすること」という派生的な意味が生じ、それがさらに転じて、「真の革命戦士となるべく反省を促すためのリンチ殺人」を意味するようになった。本書のタイトルが示すように、記者たちは、かつて「総括」を叫んでいた全共闘世代の大半が、過去の自分に目を閉ざし、総括を意図的に避けていることに対して、その自己欺瞞と卑怯さに対して、静かに苛立っている。彼ら(「僕ら」と言うべきかもしれないが)の苛立っている姿は、果たして全共闘世代の目にどのように映っているのだろうか?

総括せよ! さらば革命的世代 40年前、キャンパスで何があったか

総括せよ! さらば革命的世代 40年前、キャンパスで何があったか

評価:★★★★☆