乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

伊丹敬之『創造的論文の書き方』

本書は論文・レポートの書き方についての「マニュアル」「ノウハウ本」では断じてない。「研究者の仕事=創造的な論文を書くこと」を前提としつつ、創造的な論文の本質的要件を考察することを通じて、研究者(社会科学者)に必要とされる心がけ(研究者としての要件)について論じたものである。したがって、初めて論文を書こうとする(これまで論文を書いたことのない)者が本書を読んでも、益するところはほとんどないであろう。しかし、いったん学部卒業論文を仕上げて、それを修士論文へとブラッシュアップさせたい者にとって、本書は益するところ大であるはずだ。実際、僕は本書を大学院修士課程における論文指導の授業のテキストとして使用している。

著者は「創造的論文とは、仮説の発想と仮説の論証の二つの創造性が豊かにある論文のことである」(p.5)と述べる。創造的な論文を書くためには、(1)読み手が知的好奇心・知的興奮を覚えるような仮説を作る*1、(2)その仮説を説得的に論証する、という二つのプロセスが必要である。

確かにそうなのだ。しかし、学部卒業論文の指導においては、時間と学生の能力の制約から、その両方への目配りがきわめて困難である。「仮説の発想」の段階で時間切れとなってしまう。論文としての完成度を最重視すれば、指導教員の側から論証すべき仮説を与えてやる、という方法もあるだろう。しかし、僕はそういう方法を意図的に採用していない。論証できなくてもよいから、自分が「不思議だ」「面白い」と思えるテーマを発見させることに、主眼を置いている。

そのようなわけで、僕はこれまで学部ゼミ生に鹿島茂『勝つための論文の書き方』*2を論文執筆の際の指南本として薦めてきた。鹿島本は、著者が人文系(フランス文学)の方だけあって、アイデア(仮説)の作り方に力点を置き、懇切丁寧に解説しているが、他方、「説得的な論証」についての解説が弱い。しかし、本書は、著者が経営学の泰斗だけあって、「説得的な論証」についても詳細に解説してくれている。その意味で僕は、本書を鹿島本の次に読むべきものとして、すなわち、初級レベルを終えた者が中級レベルへと進むために読むべきものとして、強く薦めたい。

以下の5つのポイントに留意しつつ読み進めれば、本書を深く正確に理解できるであろう。

  • 「不思議=知的好奇心」と「面白い=知的興奮」の対比
  • 論文とレポートの違い(「舞台裏」の位置づけの違い)
  • 「説得的」であるとはどういうことか
  • 説得材料づくりの方法(&社会科学の本質)=論理重合体合成法(ロジカル・コンパウンドシンセシス
  • 概念の定義の重要性

「論文という一つのアウトプットを作り上げるプロセスで必要とされる本質的な思考は、たとえば音楽の世界でも建築の世界でも、さまざまな世界でものを作り上げている人たちの本質的思考と通ずるものがある。・・・論文の書き方とは、つまるところものの考え方なのである」(p.ii)と著者は述べるが、まさしくその通りだと思う。前回レヴューした『商品企画のシナリオ発想術』と本書のエッセンスは基本的に同じである。いかにして説得的な仮説を提案するか? そのためには、あたりまえをあたりまえとして受け入れるのではなく、素朴な「?」(不思議)を出発点にして、あたりまえを問いなおす心的態度を育む必要がある。それは「自分の頭で考える能力」と言い換えてもよい。これこそが学生時代に育むべき能力であり、僕が大学教師として自分の学生にいちばん伝えたい力である。

創造的論文の書き方

創造的論文の書き方

評価:★★★★★

*1:それを書き手の側から言い換えれば、「不思議だ」「面白い」と思えるようなテーマを発見する、ということになる。

*2:「乱読ノート」2003年5月 http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nakazawa/reading2003.htm