乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

米盛裕二『アブダクション』

経済学方法論史をテーマとする共同研究に関わっている関係で、帰納と演繹との関係についての理解を深める必要が生じ、本書を手に取った。共同研究のリーダーであるHKD大のSSKさんが薦めてくださった本である。

科学的(論理的)な思考(推論)の方法として、一般に、演繹と帰納の二種類があげられる。演繹が経験から独立に成り立つ必然的推論であるのに対して、帰納は経験にもとづく蓋然的推論であるので、推論の厳密性・論証力という点に限れば帰納は演繹に劣る。そのため論理学者たちは、演繹的推論のみが正しい意味での論理的推論である、と見なしがちであった。しかし、当然のことながら、人間は演繹的にのみ思考しているわけでない。演繹は論証力においてすぐれた推論ではあるけれども、あらかじめ前提の中に含まれている内容を結論として取り出すにすぎず、拡張的・創造的機能を有していない。したがって、科学的発見は純粋に演繹的でない推論によって行われている、ということになる。厳密な推論のみを論理的な推論と見なす論理学者たちの傾向は、現実の人間(科学者)の思考の論理から離れてしまっているのではないか? むしろ、論理学者たちが切り捨ててきた厳密でない推論のほうに、人間の推論の特質を見出せるのではないか?

著者のこのような疑問に明確な答えを与えたのは、アメリカの論理学者で科学哲学者のチャールズ・パースの仕事である。パースは、演繹でも帰納でもない第三の推論としてのアブダクション(仮説的推論)の役割を強調し、これこそが科学的発見や創造的思考を促す推論であるとする。本書は、アブダクションに関するパースの思想を、著者なりのアレンジを交えながら、初学者にもわかるように懇切丁寧に解説している。

帰納アブダクションはともに拡張的だが蓋然的な推論という性格を有しているので、両者の違いを説明することに多くのページが割かれている。観察可能な事象における既知の事例から未知の事例への一般化が帰納であるのに対して、観察可能な事象から(例えば「りんごが木から落ちる」)から直接には観察不可能な事象(例えば「引力」)を仮説的な思惟によって発見することがアブダクションである、との説明はたいへんわかりやすかった。また、そのような仮説的な思惟が働くための出発点として、意外な事実(あるいは変則性)への驚きや問いかけが必要である、との説明も説得的であった。「なぜ」という問いかけがあって、その疑問に答えるために推論が行われ、納得のゆく説明仮説が立てられる、というわけである。

哲学書らしからぬ(著者の温厚なお人柄がにじみ出ているような)やわらかい文体。豊富な具体例。科学哲学ド素人の僕が、素直に「面白い」と思って、結果的に三度も通読してしまった。「帰納」や「仮説」という言葉が有する多義性・曖昧さこそが、僕のこれまでの混乱した理解の根本原因であったことがわかり、まさしく蒙を啓いてもらった。

アブダクション―仮説と発見の論理

アブダクション―仮説と発見の論理

評価:★★★★★