乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

飯田泰之『考える技術としての統計学』

バーク&マルサスについての研究書をまとめてから早いもので1年半が過ぎようとしている。この最初の単著では「保守主義」を切り口として両者の経済思想を統一的に把握しようと努めたが、これから先も同じ切り口で研究を続けたところで、生産性は低下していくばかりだ(限界生産力の逓減)。バーク&マルサスとは一生つきあうつもりだが、学問の世界で生き残るためには、自分の経済思想史研究を他者のそれと差別化しなければならない。1年半の間、いろいろと試行錯誤を繰り返した結果、次なる切り口を(「中国」に加えて)「統計学」に定めることにした。経済学方法論をテーマとする共同研究(経済学方法論フォーラム)に参加して、帰納法演繹法の絡みあいが経済学の歴史を鳥瞰する上でいかに有効な切り口であるかを痛感させられたからだ。そもそも、「前例・経験にもとづき、確率的に高い予想をする統計的な発想法」(p.25)は、帰納法の発想と基本的に重なるものである。もはや統計学の勉強は避けられないと悟った。「そろそろ本気で統計学の勉強を開始しなければ・・・。」その最初の一歩として本書を手に取った。

統計学や経済数学については、恥ずかしながら、これまで何冊かの入門書を手に取って読み始めては途中で挫折することを繰り返している。本書を通読して挫折の理由がようやくわかった気がした。これまで手に取った入門書には、僕自身がこだわっている問題――それを曖昧にしては気持ち悪くて先に進めない問題――が丁寧に説明されていなかったようだ。逆に言えば、本書ではそれがかなり詳しく説明されていたから、気持ち良く通読できたし、書かれている内容も「腑に落ちた」のである。

僕自身がこだわっていた問題とは「統計学的思考の本質」(後述)と「単位」の問題である。単位を欠いた計算式がどんどん変形されていくと、いったい何が行われているのか、僕はわからなくなってしまうたちなのだ。足し算にしろ、掛け算にしろ、「足し算によって何を求めているのか?そもそも足し算できるのか?単位は何か?」「掛け算によって何を求めているのか?そもそも掛け算できるのか?単位は何か?」が気になって、それ以上先に進めなくなってしまうのだ。ミクロ経済学でも、なぜ縦軸が価格で横軸が取引数量なのか、どうして逆ではないのか、気になって立ち止まってしまったような人間である。一度気になってしまうと、その疑問が氷解するまでは、永遠にわかった気にならないのだ。

標準偏差は分散の正の平方根である。確かにそうなのだ。しかし、それを丸暗記できないのが僕なのである。分散に平方根を作用させることの意味をひつこいくらいに丁寧に説明してもらえないと、僕は立ち止まってしまう。しかし、本書はこうした僕の疑問を見事に氷解してくれた。著者と僕はこだわる部分が似ている。試験の点数の分散と標準偏差について、著者はこのように説明してくれている。

「(データの値−平均)の二乗」の平均が分散です。分散は「データがふつう平均からどのくらい離れているか」を表していますから、データ全体のばらつきを表す指標と考えることができます。
・・・ここで単位に注意しましょう。点数の差の単位は「点」です。そして「点の二乗」の平均値の単位は「平方点」になります。・・・。
しかし、試験の得点のばらつきが「31000平方点」だといわれてもふつうはピンと来ません。できれば、ばらつきを表す指標の単位は元のデータと同じ単位であってほしいものです。そこで、二乗になってしまったデータを元に戻してやりましょう。そのためには平方根をとる(ルートをとる)とよいでしょう。
分散のルートが標準偏差です。(pp.64-5)

なぜ分散に平方根を作用させるのか、そうすることでいったい自分は何を遂行しているのか、とてもよくわかる説明だ。

細部にこだわりすぎたかもしれない。自分の無知をさらけ出しただけの可能性も高い。わかっている人には当たり前すぎる内容だろう。

本書は平均・分散・標準偏差、検定、回帰分析、時系列分析といった統計学の基本的トピックを、いかにして日常生活に役立たせるか(ビジネスや投資に応用するか)という観点から解説している。紙幅の制約もあって、やや詰め込み過ぎの感は否めず、決してすらすら読み進められるような平易な入門書ではない。読者にはそれなりの忍耐が要求される。しかし、僕の思考にはぴったりマッチした。「何のために統計学を学ぶのか?」「統計的思考とは何か?」という初発の問いが本書全体を貫いていることに大きな感銘を受けた。

最後に、特に印象に残った著者の言葉を2つほど紹介しておく。統計学的思考の本質とは何か? 

先に結論から書いてしまいましょう。統計学は論理的に妥当な思考法とは何かという命題に一つの解答を提示しているという意味で、哲学的にもっとも重要な方法論です。そして、適切な統計知識にもとづいてデータを観察することで、思い込みから「一歩引いた」論理的な思考ができるようになります。これは、哲学的関心以上に生活やビジネスでの意思決定にとり、大きな力となるでしょう。私たちの主観・思い込みは柔軟な思考の大敵です。(pp.4-5)

個人的には、「95%正しいので正しいと考えてその先に進もう」という割り切りや、「○○は棄却できないので〝間違いとはいえない〟とみなす」という思考ができるかどうかがデータにもとづく思考の肝だと考えています。(p.220)

数日前に「経済学説史」の春学期末試験の採点を終えた。残念ながら、定められた行数を埋めるために主観を撒き散らしただけの答案が大半を占めた。もっと論理的に思考して欲しい・・・。そのような頭の動かし方を学生諸君にわかりやすく伝えることはなかなか至難の業であるが、今後、統計学についての知識がその一助となってくれることは間違いない。これからもっともっと勉強したい。

考える技術としての統計学 生活・ビジネス・投資に生かす (NHKブックス)

考える技術としての統計学 生活・ビジネス・投資に生かす (NHKブックス)

評価:★★★★☆