乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

キム・ジョンキュー『英語を制する「ライティング」』

韓・日・英の3か国語を自由自在に操るハーバード大卒の韓国人ビジネスマンが日本語で書いた「最強の英語習得法」指南書。

真の英語力とは何か? 著者によれば、それは「書く」力である。「話す」「聞く」「読む」といった他のスキルは、「書く」能力の副産物として習得できる。流暢に話せることではなく、正しく書けることが英語力の尺度になる。

会話中心の勉強で言語を習得できるには、年齢制限(臨界期)がある。楽しくおしゃべりしながら自然に上級レベルまで上達することは不可能である。伝えたいことをしっかりと伝えられる真の上級レベルを目指すのであれば、「読む→書く→議論する→エッセイを直される→復習する」のサイクルを繰り返すことが欠かせない。一見非効率に見えても、これが真の英語力を育む最強の方法である。いわゆる「受験英語」も決して無駄にならない。「受験勉強」で培う語彙力と文法力は、その後のすべての英語活動の基礎になる。「受験英語」を非難する英会話学校の広告に騙されてはいけない。

具体的なトレーニングの方法として筆者が推奨するのが、5パラグラフ形式――「主題部(第1パラグラフ)+補充部(第2・3・4パラグラム)+締めくくり部(第5パラグラフ)」――のエッセイを書くことである。それは、1つの明確なテーゼ――例えば「日本はイラクへ派兵すべきである(すべきでない)」など――を主張していなければならず、各パラグラフそれ自体も「主題文+補充文+締めくくり文」という構成をとらねばならない。

ライティングを学ぶとは、その土台をなす論理的な思考プロセスを学ぶことでもある。論理は普遍的なものだから、英語で書く訓練を積むことによって、日本語で書く能力も向上する。アメリカの国語(英語)の授業*1は自分の主張を論理的に展開する能力を育むことに力点が置かれている。

読者のみなさんは、国語の授業に対してどんなイメージを持っているのだろうか。・・・私が初めてアメリカの「国語」の授業でショックを受けたのは、宿題として与えられる読み物の長さ、授業中に飛び交う議論の活発さ、そして何よりも「書く」宿題の多さであった。
典型的な例として、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を50ページくらい、次のクラス(2日後)までに読んでくるように指示される。あの詩的で中世英語だらけのテキストを、二晩で読むだけでも気が遠くなりそうだが、そこに作文の宿題が加わる。
先生が指定した題目2〜3の中から1つを選び・・・5パラグラフくらいのエッセイでまとめてくるように言われるのだ。一般的な題目は、次のような感じである。

人生が運命と個人的な選択のどちらに左右されるのかという質問は、古からもっとも議論し尽くされた主題のひとつである。『ロミオとジュリエット』でロミオとジュリエットに降りかかる出来事は、運命に翻弄されているだけなのか、それとも彼ら自身の選択による側面が大きいのか、論じよう。

・・・本来「正解」のありえない質問に対し、どちらかを自分の主張と決め、その主張を徹底的に貫くことが要求される。
・・・目的はあくまで生徒が論理的に考え、コミュニケーションできる力を養うことにあるのである。
・・・英語(国語)の授業は、単なる言語の習得・洗練の領域を超え、他のすべての学問の基盤となる論理的な思考を養うものなのである。(pp.61-2)

シェイクスピアを学んで何の役に立つのか? 答えはもはや明白だろう。

書くことによってしか書くことは学べない。著者の主張はどこまでも硬派である。学問に王道なし。早いもので僕が英語を学び始めてから28年になるが、最初のページから最後のページまで、書かれてあることのすべてが腑に落ちた。

真の上級レベルなど自分に関係ない。楽しくおしゃべりできれば、それで満足だ。そう反論する人も多いだろう。しかし、ちょっと待って欲しい。本当に上級レベルは自分に関係ないのか? 以下に引用する著者の言葉は傾聴に値する。

みなさんは大学の教育、とくに文系の教育がどんなふうに現実の世界に役立つのだろう、と疑問に感じたことはないだろうか。私は専攻が政治学だったこともあり、大学3年生のとき、キャリアを設計するにあたって、まさにその疑問に頭を悩ませた。
私の通ったハーバード大学は、大学の方針として職業訓練なるものは提供しない。医学・法学・経営学といった現実世界の職業と直結する学問は、学部レベルでは一切教えない。それが私には不思議だった。現実にはハーバード大学生といえども、卒業したらお金を稼がなくてはならない。一部大学院に進む学生を除き、たとえば社会学や歴史や文学を学ぶ学生にとって、専攻学問の勉強がどんなふうに生活に役立つというのだろう。
そのからくりがわかりかけたのは、マッキンゼーに入社してなお1年以上経ってからだった。
アメリカの大学では文系でも確実に教え込むスキルが3つある。

(1)論理的なコミュニケーション能力
(2)リサーチ能力
(3)簡単な計数的分析、統計学

政治学社会学ならともかく、文学や哲学で統計学を学ぶの? と疑問に思うかもしれないが、ハーバード大学の場合、コア・カリキュラム(一般教養)と称してちゃんと全員に教えている。そして、これら3つのスキル全部が経営コンサルタントには必須だ。(pp.87-8)

非効率なように見えても、「書く」能力(論理的思考力)の涵養こそが、その実、最も効率的なキャリア教育なのだ。会話重視の英語教育に限界があるように、体験(インターンシップ)重視のキャリア教育にも限界がある。それをしっかりと見据えた上で、今後のキャリア教育は展開されるべきだろう。系統だった方法論に基づいて卒業論文を書かせることに、もっと多大な教育的エネルギーが投じられてしかるべきだと僕は考える。英語教育と同じくキャリア教育にも王道はないはずだ。

なお、この読書ノートが5パラグラフ形式で書かれていないことを最後にお詫びしておく。所詮「ノート」にすぎず、「エッセイ」ではないので。

知的な大人の勉強法 英語を制する「ライティング」 (講談社現代新書)

知的な大人の勉強法 英語を制する「ライティング」 (講談社現代新書)

評価:★★★★★

*1:全国的? エリート校だけ? 本書を読むだけではわからない。