乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

クシシトフ・ポミアン『増補・ヨーロッパとは何か』

著者はフランスで活躍しているポーランド出身の歴史家である。本書は、進行中のヨーロッパ統合を強く意識しながら、古代ローマから第一次世界大戦までのヨーロッパ世界〈分裂〉と〈統合〉を概観している。

著者によれば、過去にヨーロッパ統合と呼びうる事態は二度見られ、二度ともナショナルなものの台頭によって引き裂かれた。

最初の統合とは、12世紀から16世紀にかけて見られた、ローマを中心とするラテン・キリスト教世界としてのまとまりのことである。イスラム勢力への対抗意識がこの統合の背景にあった。この最初の統合は宗教改革によって失われた。プロテスタンティズムを「いまだかつてこれほど強烈に表現されたことのない民族(ナショナル)感情と民族(ネイション)の特異性の爆発」(p.113)と捉える視点は、僕には思いもよらないもので(言われてみれば確かにそうなのだが)、大いに啓発された。

宗教的分裂にもかかわらず、知識人は依然としてスコラ文化と人文主義的文化を共通の文化的基盤として保ち続けた。彼らは国家や宗教の境界を越えて自由な知的交流を楽しんだ。「文芸」に対する崇拝が彼らの紐帯となった。このようにして、パリを中心とする想像上の――現実の世界では諸国間で戦争が絶え間なく続いていた――共同体「文芸共和国」が、17世紀から18世紀にかけて成立するに至る。これが第二のヨーロッパ統合である。この第二の統合は近代ナショナリズム民族主義)の台頭によって崩壊させられる。フランス革命ナポレオン戦争がその最初の引鉄を引いたのだ。

目下、EUによって第三の統合が推し進められている。1990年初頭に脱稿された本書(原書)において、EUに関する記述は当然見られない(マースリヒト条約締結は1991年12月)が、嬉しいことに、著者は「平凡社ライブラリー版のための追記」を寄稿し、この件についての自身の見解をかなり詳細に記している。これは本書の「売り」と言ってよい。EUの前身であるECは、ソヴィエト連邦を敵視する陣営が一致団結した結果として生み出されたわけだが、その敵が崩壊したということは、統合化を促す要因が焼失したということでもあり、新たなナショナリズムの台頭の原因となりうる。三度目の分裂が生じない保証はどこにもない。ヨーロッパという単位のために自国の特権を放棄できるか? 前例のない多元的民主主義をいかにして実現するか? これらの問題が第三の統合の成否の鍵を握っている。

本書の特徴としては、ポーランド出身の著者らしく、ヨーロッパ世界の〈分裂〉と〈統合〉を、〈中心〉と〈辺境〉という座標軸に照らして考察している点があげられる。「ヨーロッパとは何か」というアイデンティティの問題は、ヨーロッパであることが自明の(フランス、イタリアなど)〈中心〉諸国よりも、自明でない(ポーランド、ロシア、トルコなど)〈辺境〉諸国にとってのほうが、いっそう切実な問題である(あった)はずだ。〈辺境〉諸国の自己認識の変容に多くの紙幅が割かれている。

また、〈南北〉と〈東西〉という座標軸に照らしても考察している。これについては、著者自身の記述を引用しておきたい。

17世紀初頭のヨーロッパ全体の政治は、ローマ末期以来変わることのない南北方向の軸、すなわちバルト海と地中海、スカンディナヴィアとイタリア、ドイツ的要素とラテン的要素、プロテスタンティズムとカトリシズムといった二極をもつ軸に沿って展開していた。これらの極のいずれかをそれぞれ中心とするこのふたつの領域を分ける境界線は、古代の「境界線」の近くを通り、ドイツを東西に区切っていた。
・・・ヨーロッパの命運を握る列強は、17世紀初頭には教皇領、ヴェネティア、スペイン、フランス、神聖ローマ帝国ポーランドといった国々であった。それが18世紀には、英国、フランス、オーストリアプロイセン、ロシアになる。ただフランスだけが、ふたつの時代の地政的布置のなかで同じ地位にいるのである。かつてはヨーロッパにおける紛争の軸が南北方向の軸であったが、18世紀末には、新たに東西方向の軸が基本軸になった。いまや、ふたつの極は、大西洋とウラル山脈、英国――いずれアメリカが登場する――とロシア、アングロ=サクソン世界とスラブ世界、宗教的自由と正教、議会制と専制ツァーリズムという具合になっている。相変わらず境界線が通過するにはドイツだけとはいえ、今度は、ほぼエルベ河のあたりを垂直に区切っているのである。(pp.130-2)

かつてレヴューした岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』*1によれば、「ヨーロッパ思想は二つの礎石の上に立っている。ギリシアの思想とヘブライの信仰である。この二つの礎石があらゆるヨーロッパ思想の源泉であり、2000年にわたって華麗な展開を遂げるヨーロッパの哲学は、これら二つの源泉の、あるいは深化発展であり、あるいはそれらに対する反逆であり、あるいはさまざま形態におけるそれらの化合変容である」(p.iii)と。この言葉の本当の意味が本書を読んでようやく腑に落ちた。ヨーロッパという理念が引き裂かれようとした時、再びそれを〈統合〉へと引き戻そうとする引力としてのヨーロッパ共通の記憶(文化的遺産)こそ、古代古代の思想(→人文主義)とキリスト教信仰(→スコラ)なのだ。

本書はマサイアス『経済史講義録』*2の第3章「「ヨーロッパ」の成り立ちを考える」の拡張版のような趣きがある。併せて読んでもらいたい。また、増田四郎の古典的名著『ヨーロッパとは何か (岩波新書 青版 D-14)』と読み比べてみるのも面白いかもしれない。

訳文はきわめて流麗である。西洋史好きなら学部学生でも十分に読みこなせる。

ヨーロッパとは何か 増補 (平凡社ライブラリー)

ヨーロッパとは何か 増補 (平凡社ライブラリー)

評価:★★★★☆