乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

高砂浦五郎『親方はつらいよ』

朝青龍、渾身の反省文つき 「親方、本当に申し訳ありませんでした!」

こんな帯の惹句に釣られて衝動買い。出版社の仕掛けた罠に引っかかってしまった。著者の高砂親方*1は、僕が子ども時代に絶大な人気を誇った元大関朝潮。タレント本を読むような軽い気持ちで読み始めたのだが、中身は予想に反してかなりまじめでしっかりしたもの。30年間にわたって大相撲界に身を置いてきた著者が、自身の体験をふまえながら、「新しい師匠と弟子の関係」について率直に述べている。タレント本を読み返したりすることはまずないが、本書は一度読んだ後、さらに読み直した。それだけの内容があった。

学生(近畿大学)時代に教職課程を履修していた親方だけあって、弟子の育成方法について、相撲界の伝統にしばられない(決して伝統を無視するわけではない)柔軟な考え方を持っている。

昭和の厳しい時代を知る古い親方たちや元力士たちの中には、
「俺たちの時代はこんなに甘くはなかった」
「昔の相撲界の厳しさは――」
などと過去を振り返り、今の相撲界を嘆く方もいるようです。しかし、「俺の時代」という昔話をしたら切りが無いのです。それはもう、昔の仲間たちとの思い出話として語ればいい。昔の話は、酒の肴でいいのです。弟子の前でその話をするべきでなく、もちろん押し付けてもいけないと思います。
たとえば、戦後の混乱期で食うや食わず、たくさんの兄弟を養うために相撲界に入った世代と、豊かな世代に育った今の若者に、価値観や気質において違いが出るのは当然のことでしょう。
現役の師匠の立場としては、現代の若者気質を嘆いてもしょうがありません。昔は野山を駆け回ったものだと言っても、昔は野山しかなかったのです。でも、今はフィットネスクラブがあるのだから、そこで鍛えればいい。それこそ雨の日にだって鍛えられます。冬は海で泳げなかったけれど、今は室内温水プールもある。
もっと発想の転換をしなければいけないのではないか、と思います。(pp.104-5)

弟子指導についての親方の考え方が、ゼミ生指導についての僕の考え方とかなり似ていて、驚かされた。

良い意味でのゆとり・中途半端さをもって自主性・個性を育てる。真剣に教えすぎてはならない。弟子に合わせて根気よく気長に。箸にも棒にもひっかからないような弟子でも、決して見切りはつけない。絶対的権力を振りかざしてはならないが、友達のような師匠になってはいけない。

部屋を興した頃の「兄貴」のような親方から、年齢を重ねるにつれて、「父親」のような親方への脱皮を迫られる。弟子との距離も微妙に変わってゆく。これは大学教師である僕が今まさに直面している問題だ。第2章「親方の心得」は、そのまま「教師の心得」としても読める。本書は異色のリーダー論、上司論なのだ。

これを裏返せば、僕のゼミに入ることは相撲部屋に入門することを意味するわけで、気軽に応募できないのも仕方がないのかも。出稽古が他のゼミより多いのは、力士を強くするためなのだが、それが大半の学生には「キツイ」としか受け取ってもらえないのが「親方」としては残念である。

時津風部屋の新弟子急死事件で話題になった「かわいがり」だが、本来の「かわいがり」は「ぶつかり稽古の延長」で、ほとんどの部屋で一般公開されているものである。決して密室でやる「いじめ」や「暴力」の類ではなく、あくまでの稽古のひとつである、とか。

高見山、富士桜、小錦、曙といったかつての人気力士の意外な横顔もわかる。朝青龍の反省文もなかなか「読ませる」。楽しく、役に立つ一冊ではないだろうか。

親方はつらいよ (文春新書)

親方はつらいよ (文春新書)

評価:★★★★☆

*1:「おわりに」によれば、親方の語りを編集者がまとめたもののようだ。