乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

磯村健太郎『〈スピリチュアル〉はなぜ流行るのか』

基本的には宗教社会学的観点からのサブカル分析本と言えそうだが、僕は本書を社会経済学・宗教経済学の世界への格好の入門書として読んだ。

ブログ、mixiネット恋愛平原綾香「Jupiter」、秋山雅史「千の風になって」、江原啓之オーラの泉」、中村うさぎ上大岡トメ『キッパリ!』、『ほぼ日刊イトイ新聞』、スローライフ等々、これら最近の流行・ヒット商品(作品)の背景には、「スピリチュアル」という言葉によって表現される共通の何かが潜んでいる。

それでは、「スピリチュアル」とは何なのか? 宗教とどう違うのか?

「スピリチュアル」とは、宗教のように組織化されていないコミュニティの成員としての感覚(見えない何かと緩やかにつながっている感覚)のことであり、あるいは、つながりを求めてやまない現代人の実存的不安(自分が自分であることの孤独から発する曖昧な不安)が癒される感覚のことである。そのような不安の軽減(癒し)を誰もが欲しているからこそ、そうした欲求を満たす商品がヒットするのだ。

新聞記者出身の著者らしく、本書は多くの取材にもとづいて書かれており、その文章は非常に読みやすい。しかも、サルトルレヴィナス見田宗介広井良典らの議論が踏まえられているためか、取材記事の単なる羅列に終わらず、「スピリチュアル」現象の本質が包括的に深みをもって分析されている。Amazon.co.jpのレヴューで高い評価を獲得しているのも納得できる。

住友生命のCMソング「みんな おなじ 生きているから・・・」は、本書を読み終えた後では、簡単に聞き流せなくなる。このCMがいかに時代の要望にマッチするように作りこまれているかに気付かされ、感心させられる。この点については、第4章第1節「「いのち」という系譜」を参照して欲しい。

スピリチュアリティという問題は、複雑化する現代の見えにくい現象を読み解くためのキーワードにとどまるものでない。以下に引用するブログのトラックバックには、人間の本源的な欲望が描かれていないか?

誰かの記憶に自分が残っていること。
存在を認識してもらっていること。
何かの拍子に思い出してもらえること。
それが今の私にどれだけのチカラを与えてくれて、どれだけ背中を押してくれたことか!(p.44)

この書き込みを著者は次のように論評する。

ここで彼女が感じたものは、見えない他者とのあいだに現われたスピリチュアリティにちがいない。見知らぬ人とウェブ上で表面的なやりとりをしているだけでは、スピリチュアリティ体験はないだろう。このブログの例は、こころの一番深いところに触れる感覚だったのだ。〈私〉がむき出しの状態で「ある」ということを実存というならば、彼女にとってはまさに実存にかかわる問題だった。(p.45)

ここでの議論を高橋哲哉記憶のエチカ―戦争・哲学・アウシュヴィッツ』のアレント論(「忘却の穴」論)と読み比べてみると面白い。スピリチュアリティという問題からナチズム(アウシュヴィッツ)論へ一足で跳ぶことができる。

著者が「はじめに」で述べているように、本書は「若者論」「コミュニケーション論」としても読むことができる。その視点から本書を読むと、本書は相原博之『キャラ化するニッポン』*1と見事なまでに共鳴しあう。「いやしキャラ」「いじられキャラ」「あねごキャラ」など特定のキャラを宛てがわれることによって、現代の若者は友人たちと「つながり」、グループ内に「居場所」を手に入れる。しかし、その「居場所」はいつ誰に奪われるともわからない。キャラからはみ出した言動をとったり、キャラが他人とかぶってしまうような場合、その「居場所」はいとも簡単に失われる。細心の注意を払って「居場所」を確保し続けなければ・・・。ここに現代の若者の抱える「不安」の正体が見えやしないだろうか?

今年の学内ゼミナール大会(7期生が参加)の発表テーマは「癒しと自己愛の社会経済学」。本書ほどこのテーマに見事にはまる文献は存在しないだろう。ゼミ生必読!*2

<スピリチュアル>はなぜ流行るのか (PHP新書)

<スピリチュアル>はなぜ流行るのか (PHP新書)

評価:★★★★★

*1:http://d.hatena.ne.jp/nakazawa0801/20071028

*2:すでにテキスト採用が決定。