8期ゼミのテキストとして読んだ。
「やさしさ」が対人関係のルールとして最優先されているために、逆説的に、「しんどさ」と「こわさ」に満ちてしまっている現代日本社会。本書はその逆説のメカニズムを社会学の手法で明らかにしている。
著者によれば、「やさしさ」には「治療的やさしさ(やさしいきびしさ)」と「予防的やさしさ(きびしいやさしさ)」の2種類がある。どちらも、こころが傷つくのは良くないことだとして、やさしくすることで滑らかな人間関係を保とうとするが、こころへの対処法が異なる。前者においては、「ひとはそのつもりはなくても、思いがけず誰かを傷つけてしまうことがあるが、その傷をことばで癒すことこそ、やさしさだ」と見なされている。そこでは、「傷はいつか治るもの」という考え方が前提になっている。他方、後者においては、「相手に傷をつけないようにすることこと、やさしさだ」と見なされている。そこでは、「傷つけると治癒は容易ではない(その傷は一生消えないかもしれない)」という考え方が前提になっている。修復の可能性は最初から考慮されない。しかし、何をすれば相手が傷つくのかを、最初にすべて正確に予想するのは不可能である。ひとそれぞれ、である。不可能なことを要求されるために、その結果として、発言や行動に際しては慎重な態度をとらざるをえなくなる。(pp.14-24, 121-132)
このような「予防的やさしさ」は、若い世代を中心として広がり始め、今や社会全体に蔓延しつつある。もめ事や摩擦を避けることが無条件に求められるような社会になってしまった。具体的には、友人・仲間関係においては、「場の空気を読む」ことが最優先され、「キャラ」的人間関係のようなかたちで、予防的やさしさルールが守られるわけである。また、あまりにも傷つく・傷つけることに敏感であるがゆえに、相手にたいして感じていることを率直に言うこともできない状況が、やさしさとは対極にあるネットいじめの増加につながってしまっているのである。(pp.95-108, 139)
どうしてやさしさルールはかくも厳しくなったのか? 著者によれば、その最大の原因は、近現代の日本において、イエ・国家・会社などの集団が「聖なる」の存在の地位から追いやられ、個人が集団のためでなく自分のために人生を生きるようになったことにある。「人生の自己目的化」である。その系論(産物)として、一度きりの人生を楽しみ尽くし、自分の能力はすべて発揮したい、という考え方が生まれてきた。(pp.65-90)
本書はおおよそ以上のような内容である。平易で読みやすいのだが、残念ながら、すでに聞いたことのある話ばかりで、既存の新書類の議論を混ぜ合わせて薄めたかのような印象は否定できない。具体的な書名を挙げれば、大平健『やさしさの精神病理』、土井隆義『「個性」を煽られる子どもたち』、香山リカ『若者の法則』、相原博之『キャラ化するニッポン』などの議論である。議論そのものもこれら4冊のほうが本書より丁寧である。
確かにサンダーバード事件(pp.127-32)は「こわい」事件である。この事件に対する著者の分析はなかなか興味深い。果たして「予防的やさしさ」の浸透が引き起こした事件だったのだろうか?
- 作者: 森真一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/01/01
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