乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

江上剛『非情銀行』

周知のように、バブル経済の崩壊以後、わが国の大手銀行は生き残りをかけて巨大合併へとひた走った。いわゆるメガバンクの誕生である。本書はこの時代の大手銀行の闇を題材とした小説である。

表向きはフィクションということになっている。しかし、著者は、デビュー作である本書の執筆時、みずほ銀行の現役支店長であり、覆面作家としてデビューした。このような事情があるだけに、本書に描かれている金融業界の闇の何もかもがフィクションだとは到底思われない。最高権力の掌握を目指して非情なまでに過酷なリストラを推進する人事担当常務中村。中村の身代りに罪を被ったにもかかわらずその中村に裏切られ、非人道的なリストラによって廃人と化してしまい、自ら命を絶つエリート行員岡村。東光・大栄両銀行の合併後の主導権争い。それを食い物にする大物総会屋九鬼との抜き差しならない関係。さらにその背後に見え隠れする大物代議士大月の影。*1それらの描写はあまりにもリアリティに満ちている。かなり高い割合で実話を織り交ぜているような気がしてならない。

ストーリーは比較的単純で、「岡村の仇を討ってやる!」と正義感に燃える竹内ら中堅・若手社員グループが、悪玉たちの化けの皮をはぐことに成功して終わる勧善懲悪物語である。登場人物の性格描写がステレオタイプであるし、文章もこなれているとは言い難い。そういう点に不満が残るが、それらを相殺して余りあるリアリティとテンポの良さが本書の魅力であり、実際、550ページもの大著であるにもかかわらず、僕はたった2日で読み終えてしまった。中村常務の冷酷さには幾度も背筋が震えた。経済小説であると同時にホラー小説かもしれない。いや、経済小説は本質的にホラー小説なのかも。

金融業界に興味のある大学生にとって、本書のような作品を通じて、大学の金融論の授業で(おそらく)学べない世界を学生時代のうちに知っておくことは、間違いなく有益であろう。実際、僕自身、高校・大学時代に経済小説を読み耽り、経済を学ぶことの面白さに目覚め、今日に至っている。

非情銀行 (新潮文庫)

非情銀行 (新潮文庫)

評価:★★★★☆

*1:どう読んでも、故H本R太郎元首相しか思い浮かばないのだが。「民自党は与党第一党で大月はその中でも最大派閥の長であった。なかなかの二枚目で首相も経験したが、財政再建路線が時代に受け入れられず不況を引き起こして退陣した。そして派閥の長に返り咲き、再登板を狙っていた。(p.318)