乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

城山三郎『花失せては面白からず』

我が国の経済小説のパイオニア城山三郎さんは、もともと、愛知学芸大学で教鞭をとっていた経済学者(「景気論」担当)・杉浦英一(本名)であった。その城山さんの学生(一橋大学)時代のゼミナールの指導教員が理論経済学山田雄三教授(福田徳三の弟子)。本書は二人の師弟愛を中心に据えた城山さんの自伝的エッセイである。

学生時代の城山さんは山田ゼミのいわゆる「落ちこぼれ」であった。ゼミのテキストはモルゲンシュテルンの『ゲームの理論と経済行動』。極端に抽象化された数理的な経済理論の無味乾燥さに耐えきれなくなり、退ゼミを申し出たこともある。しかし、山田教授からの手紙を読んだ城山さんは、大いなる感銘を受け、心を入れ替える。そこには、経済学者としての教授の生き方・考え方が真摯に綴られていた。自分の信念を正当化するための「理論」(=イデオロギー)の危険性。外面的な言葉や理論にとらわれずに人間関係の現実を見ようとする科学的・実証的精神の大切さ。等々。城山さんは退ゼミを翻意して、ゼミ活動に打ち込み始め、やがて(文学への絶ちがたい思いを抱えつつ)師と同じ経済学者の道へと進むことになる。

経済学者時代の研究業績「東海地方における景気変動と企業者活動」について、城山さんは次のように述懐している。経済学者・杉浦英一と作家・城山三郎を架橋したのは、間違いなく、山田教授の教えであった。それがうかがえる述懐である。

・・・この本については、思いがけぬ方向からクレイムがついた。
「本当の内情を伝えていない」「その社長交代劇には表に出ない理由がある・・・」といった類のもので、批判した筋の人たちは、その人たちだけが真相を知っている、というのである。
けげんな気がした。わたしとしては、資料調べにせよ、聞きとりにせよ、できるだけのことはやったつもりであり、どういう根拠でと、心外でもあり、また、その先が知りたくて、この人たちに会うことにした。
これが、わたしが総会屋なる人々を知るきっかけであり、やがて、その存在に興味を抱くようになる。
・・・もともと、全体と個との関係をとらえるのが、経済学などの社会科学の問題と、教授は考えて居られる。
一方、文学にも、組織と人間の関係を描くのが現代文学のテーマだとする伊藤整の理論がある。
社会科学では全体と個、文学では組織と人間。そこにどこか通底するものがありはしないか。
・・・わたしは『総会屋錦城』で直木賞をもらい*1、それから四年ほどで大学からも退き、文筆一本に。教授とは別の世界に住むことになった。
もっとも、それは形だけの別離であったかもしれない。
わたしの作品は、当時の文壇では、「組織と人間」というテーマで分類された。組織の中で人間はどう生きるか、人間にとって組織とは何なのか――という問いかけからはじまる文学というわけである。
一方、教授は経済学を、経済の場でのミクロとマクロ、個と全体の関係をとらえる学問、ととらえて居られ、「全くちがう世界ではないんだよ」というニュアンスのお話が耳に届き、敵前逃亡を許されたような、ほっとした気分になったりした。(pp.47-54)

城山さんが大学教員を辞して、作家生活に入った後も、恩師との親交は続いた。数十年の歳月が流れて、教授が93歳になり、城山さんが68歳になっても、二人だけのゼミナールが飽くことなく続けられた。この二人ゼミナールの記録は本書にも収録されている。

本書には山田教授の言葉が数多く紹介されているが、それらは城山さんご自身の言葉でもあるだろう。城山さんは恩師から生き方・考え方を学んだ。山田教授こそ城山さんの生涯を決めた人物であった。

山田教授の米寿を祝ったゼミナール出身者の会合(1989年11月)で、教授は次のようなスピーチをされた。僕は、今でもまったく古さを感じさせないこのスピーチを、もうすぐ卒業の日を迎える自分のゼミ生(6期生)に贈りたい気がする。

ちょっとひねくれたことになると思いますが、もうひとつ申し上げたいことは、セミナールとかゼミナリステンという言葉は結構なのですが、お弟子さんとか教え子とか、そういう言葉はどうも、私はやっぱり嫌いなんです。ゼミナールというのは、結局、研究者の集まりだと思うんです。もちろん、それは私のほうから見て、教えるとか教わるという関係よりは、研究者の集まりじゃないかと、こう始終思っているのです。
ただ、研究と言いましても、経済学の研究だけじゃございませんで、むしろ経済そのもの、あるいは社会そのもの、その研究なんで、これは大学の三年とかあるいは二年とかというような短い期間ばかりでなくて、ずっと長く、おそらく皆さんも学校を出てから今日まで、やはり研究されていると思うのです。経済そのものを、社会そのものを。これはもう激しく変化していますから、学校で教わったことがそんなに役に立つわけではございませんで、始終新しい問題にぶつかりながら、おそらく今日まで来ていられると思うんです。
・・・研究というと大げさですけれども、やっぱり研究だと思うんですよね。それで、私もやっぱり同じように同じような問題に関心を持って、考えたり研究したりしている。その仲間、その研究の仲間がゼミナリステンだと思うんです。もう少し問題を広く言えば、人生そのものとか、あるいは人間そのものからということを含めても結構だと思うんです。おそらく、五十年、六十年、長い間にわたって、絶えず考えざるを得ないと思うのです。(pp.157-8)

本書に限らず、僕は師弟関係を扱った作品がとても好きである。阿部謹也が語る上原専禄の姿もまた、僕の心に幾度となく大いなる感動をもたらしてくれる。受験の失敗が嬉しい誤算となって、僕は「師」を一人ならず持っている。拙著の公刊を目前に控え*2、そのことの幸せを噛みしめる日々が続いている。

評価:★★★★☆

*1:1959(昭和34)年。

*2:実は、山田教授の研究業績は、拙著でも利用させてもらっている。