乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

井口泰『外国人労働者新時代』

今学期の「基礎演習(ディベート入門)」(2回生配当)は、同僚・浜野教授とのダブル・ティーチングという初めての試みに挑戦している。履修者全体を2クラス4班に分けて、前半と後半で指導するクラスを交替する。通常の授業(練習)はクラス単位で行われるが、前半最後と後半最後の授業でクラス対抗の試合が行われる。クラスとしてのプライドを賭けて試合を行うことで、学生たちはモチベーションを高めてくれるだろうし、教える側の僕としても、学生たちに教え方の違いを比較されるわけだから、ほどよい緊張感を持続することができる。

後半のディベート・テーマは「日本は外国人労働者をもっと受け入れるべし」なのだが、僕にとってはまったく「???」なテーマで、さすがにある程度の知識を仕入れておかないと授業にならない(指導できない)。こんなわけで手に取ったのが本書である。

著者の井口さんとは浅からぬ縁がある。去年・今年と2年続けてゼミナール関関戦において井口さんのゼミと対戦した。去年(5期生が「参議院を廃止すべき」で対戦)は苦杯をなめたが、今年(7期生が「道州制を導入すべき」で対戦)はリベンジさせていただいた。ディベート・テーマの選定にあたっては、公平を期すために、互いの専門分野から遠いテーマを選定することになったが、実は井口さんは外国人労働者問題の専門家であり、遅ればせながら、この度そのご研究の一端に触れることになった。

本書の内容を簡単にまとめておきたい。

外国人労働者の受入れを論じる場合、少子・高齢化(に端を発する人手不足)への対応と関連づけるだけでは不十分で、東アジア諸国・地域における人材開発(技術移転)の問題とも関連づける必要がある。

高度な人材であれば積極的に受け入れるべきであるが、不熟練労働者については今後も受け入れない方針を堅持すべきである。しかし、これは政府方針への全面的賛成を意味しない。現在の外国人労働者政策における「専門的・技術的分野の労働者」と「いわゆる単純労働者」の「二分法」に従えば、両者の間の「中間職種」すなわち「一般技能労働者」は、すべて「いわゆる単純労働者」に含まれてしまう。この「中間職種」こそ、東アジアの生産現場を支える中核的人材であり、日本はその受け入れを拡大し、合法的な就労を支援しなければならない。「二分法」の見直しが必要なのだ。

外国人労働者の受け入れは少子・高齢化対策になるのかという問題をめぐっては、長期的に言えば、両者は相互に代替的ではなく、相互に補完的な関係に立つことを認識しなければならない。現在の少子・高齢化対策が功を奏して、人口や労働力人口に目に見えるほどのプラスの効果を与えるまでには、およそ20〜25年の歳月が必要とされる。その効果が現われるまでの期間においては、例えば、介護・育児サービスを主眼とした外国人労働者の導入は、少子化対策を支援する性格を持つ。ただし、この場合、外国人の介護労働者は「専門的・技術的分野の労働者」であって、断じて安価な労働力ではない。従って介護費用の節約が目的化されてはならない。この意味において、現行の介護保険制度にもとづく介護サービス単価はあまりに低い。介護労働者の条件整備を伴うことなく外国人の介護労働者を受け入れると、人権侵害をもたらす危険性がある、著者は警鐘を鳴らす。

外国人の犯罪をめぐる記述でも明らかなように、著者は外国人労働者の「社会的統合」の失敗による「底辺化」は何とかして阻止せねばならない、と強く訴えている。人道的見地を忘れることなく、経済学的に冷静な議論が展開されている。

本書は2001年に公刊されたもので、記述に多少古い部分もあるけれども、当該テーマについての包括的な概説書として、その価値をほとんど減じていないように思われる。クールヘッド&ウォームハートな好著である。

外国人労働者新時代 (ちくま新書)

外国人労働者新時代 (ちくま新書)

評価:★★★★☆