乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

ロバート・D・パットナム『孤独なボウリング』

共和主義思想史研究*1に携わっていると、どうしても徳倫理学コミュニタリアニズム共同体主義)の研究成果を無視するわけにはゆかない。僕が本書を知ったのは、遅まきながら、菊池理夫『日本を甦らせる政治思想――現代コミュニタリアニズム入門――』*2を通じてである。その時点で本書の邦訳はすでに公刊されていたのだが、何しろ本文だけでも500ページ超、全体で700ページ近い大著だけに、直接手にとって読もうという気分になかなかなれなかった。細切れの時間を縫うようにしてはとても読み通せそうになかった。ところが、地域コミュニティの衰退を研究したいという院生M君の研究プランに後押しされて、2008年度秋学期、大学院「経済思想史研究」のテキストとして本書を選び、無事に読み通すことができた。

本書のキーワード「社会関係資本(social capital)」とは、互酬性と信頼性という規範に基づいた人と人とのつながり(社会的つながり)のことである。それが「資本」と呼ばれるのは、それが社会をより効率的にするから、すなわち、追加的な利益・価値を生み出すからである。

本書のタイトルである『孤独なボウリング(Bowling alone=独りでボウリングをする)』とは、アメリカにおける社会的つながりの希薄化(コミュニティの衰退、市民参加の低下)を象徴している。本来、親睦を目的として、地域の大会に参加する形で行われることが普通だったボウリングが、近年では、たった独りで行われるようになってきている。著者は、膨大な調査データを駆使して、アメリカにおける社会共通資本の衰退の歴史の原因を可能なかぎり実証的に描き出そうとする。

著者によれば、

20世紀が始まり前半の3分の2が過ぎるまでは力強い潮流が流れており、アメリカ人のコミュニティ生活への参加はかつてないほど深まっていった。しかし、20〜30年前――静かに、前触れもなく――潮流は逆転し、われわれは非常に危うい離岸流にさらされることになった。何の前触れもなく、この世紀後半の3分の1を通じて、人々は互いから、また自身のコミュニティから引き離されてしまったのである。(p.26)

社会共通資本が衰退した要因としては、大きく4つのものが考えられるが、最終的に得られた結論は以下である。

まず、時間と金銭面でのプレッシャーがあり、その中には共稼ぎ家族にのしかかる特別なプレッシャーを含むが、これは社会及びコミュニティへの関与減少に目に見える寄与をしている。筆者の推定では、これらの要因による低下は全体の10%にすぎない。
第二に、郊外化、通勤とスプルール現象も、補助的役割を担っている。これらの要因全てによる影響も、問題全体のさらに10%を説明する程度だろう。
第三に、電子的娯楽――とりわけ、テレビ――が余暇時間を私事化したという影響は重要である。この要因は、おそらく低下全体の25%程度を説明するというのがおおよその推定である。
第四の、最も重要な要因は世代的変化であり、長期市民世代が、関与の少ない子や孫によって取って代られるという、ゆっくりとではあるが着実で不可避の置き換えは、非常に強い要因であった。・・・おおよその計算をした結論では、この要因は低下全体の半分を説明すると考えられる。(p.346)

こうした結論に対しては、多くの異論が表明されている。門外漢の僕は、能力の制約ゆえ、どちらの側にも軍配を上げられない。ただ、「実証的であろう」とする筆者の知的誠実さには大いなる感銘を受けた。統計データの量に圧倒された。

著者の思索の想源は、彼自身が「米国共同体主義者の守護聖人」(p.22)と呼ぶトクヴィルの思想である。

社会関係資本の試金石は、一般的互酬性の原則である――直接何かがすぐ返ってくることは期待しないし、あるいはあなたが誰であるかすら知らなくとも、いずれはあなたか誰か他の人がお返しをしてくれることを信じて、今これをあなたのためにしてあげる、というものである。
・・・アレクシス・ド・トクヴィルが19世紀初頭に米国を訪れたとき、人々が互いにつけ込もうとする誘惑に耐え、その代わりに隣人の面倒を見ている様に衝撃を受けた。しかしトクヴィルが指摘したように、米国民主主義が機能していたのは米国人が何らかの、あり得ないほど理想主義的な無私無欲の原則に従っていたからではなく、むしろわれわれが「正しく理解された自己利益」を追求していたからである。
・・・隣人の庭掃きのように、好意の見返りが直接的でそのまま計算できるものもあるが、遺棄された子どもの面倒を人々が見るようなコミュニティに住むことが持つ利益のように、見返りが長期的で確定的でないものもある。この方向の極においては、一般的互酬性は愛他主義と区別することが難しくなり、自己利益と考えるが困難になる。それにもかかわらず、これはトクヴィルが深い洞察で、「正しく理解された自己利益」という言葉で意味したものなのである。(pp.156-7)

これは僕自身が大いに共鳴する思想である。僕の人生はこの意味での自己利益を追求する人生であって欲しい。

訳文はきわめて流麗である。訳者の労に拍手を送りたい。

それにしても、最近の大学生は麻雀をしなくなった気がするなぁ。これは単なる愚痴でない。

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

評価:★★★★☆

*1:正確に言えば「共和主義思想史の見地からの経済思想史研究」であるが。

*2:http://d.hatena.ne.jp/nakazawa0801/20071113