乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

横山泰行『ドラえもん学』

7期生T本さんがゼミテキストとして選んだくれたもの。ドラえもんが国民的マンガ(さらには世界的マンガ)へと成長していった軌跡を、作品のあらすじの紹介を盛り込みながら解説している。

ゼミの報告自体は、のび太ドラえもんの関係を「甘える-甘やかす」関係としてではなく「相互信頼」関係ととして捉え直そうとしたもので、テキストの内容を十分に踏まえつつテキストの外側へと踏み出すことに成功しており、1年半のゼミ活動の蓄積を感じさせる意義深い報告だった。高く評価したい。しかし、肝心のテキストについてはどうか言えば、僕の評価はさほど高くない。

amazon.co.jpのレヴューには、「あらすじを書き連ねただけ」「批評的視座の欠如」「学問でも何でもない」「ファンのほうが余程よく知っている」「詰めが甘い」といった厳しい言葉が散見されるが、僕も基本的には同感だ。著者自身による新しいデータや論点の発掘があるわけでなく、「これは鋭い!」と感心させられるような分析があるわけでもない。読み進めていると、「あった、あった、こんな話!」といった懐かしい気分にさせてもらえるが、それ以上のものではない。ドラえもんの全作品を蒐集し、データベース化しているわりには、それが十分に活用されておらず、隔靴掻痒の感は否めない。

87ページ以下で、小学生の教科書にドラえもんのキャラクターが積極的に活用されていることが紹介されている。そして、のび太しずちゃんの登場回数が多いわりに、主役であるドラえもんの登場回数が少ないのが不思議である、との疑問が提出されている。しかし、どこが不思議なのだろうか。小学生の教科書なのだから、読み手が感情移入しやすい同年代の小学生を男女コンビで登場させ、活躍させるのは当然だろう。ジャイアンスネ夫が登場しないのもあたり前であって、教科書なのだから、男子の活躍する場面が女子の何倍もあってはならない。教育的配慮以外の何ものでもない。

それにしても、小学生時代の記憶力ってすごいな。何でも吸収しているね。ドラえもんを貪るようにして読んで育ったせいか、30年が過ぎても、紹介されている作品の大半をかなりの細部にいたるまで記憶していた。

最後に脱線。本書によれば、テレビ朝日系でアニメ『ドラえもん』が始まったのは1979年4月で、当初(関西地方)は日曜日朝8時からの放送で、1981年10月から毎週金曜日午後7時からに変わったとのことなので、おそらくその2年半の出来事に違いないのだが、ビデオデッキなどまったく普及していなかった当時、僕は『ドラえもん』のテレビ放送を毎回熱心にラジカセで録音する習慣があった。後でその音声をBGMにしながら、マンガ(てんとう虫コミックス)を楽しんだ。放送開始当初のアニメ『ドラえもん』は、セリフまでかなり原作に忠実に作られていて、テレビの音声をBGMにして読むことで、さながら「音の出るマンガ」を楽しむことができた。娯楽の乏しい時代だったからこそ、今よりも楽しみ方が上手だった気がする。

ドラえもん学 (PHP新書)

ドラえもん学 (PHP新書)

評価:★★☆☆☆