乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

城山三郎・内橋克人『「人間復興」の経済を目指して』

作家・城山三郎(1927-2007)と経済評論家・内橋克人(1932- )との対談集。対談そのものは、2001年秋から2002年初春にかけて3回行われ、雑誌『論座』に掲載された。それが2002年4月に単行本としてまとめられ、2004年10月には文庫化された。僕が読んだのは文庫版のほうである。

3回の対談はそれぞれ「大失業時代を生きる」「「敗者復活」のある社会を」「昭和恐慌と平成恐慌」と題されているが、全体として、《市場が人間を支配する「市場原理主義*1にどのように抗するべきか》、《どうすれば市場の暴力を制御できるのか》、《どうすれば人間の顔をした経済を復興できるのか》をめぐる対談となっている。

2人は日本を代表するリベラル派知識人である。ともに弱者の立場から現代経済を見つめており、思想的立場に目立った差はない(ように思われる)から、2人が「議論を戦わせた」わけではない。むしろ、本書は対談という形式を借りた共著による「反市場原理主義宣言」「反構造改革宣言」と言ってもよいだろう。

小泉政権の成立が2001年4月であるから、この対談は「構造改革」フィーバーの真っただ中に行われたことになる。一時的に景気回復の兆しが見え始めた時期であるが、2人はまったく状況を楽観視していない(p.77)。*2

2人によれば、「人間復興」の経済のグランドデザインは、(競争・効率よりも)連帯・共同・共生といったコミュニティー的価値を尊重しながら、政策面として、再生可能なエネルギーを基幹産業として興していく「浪費なき成長」、食・エネルギー・ケアの自給自足圏の形成、「働く側の自由」をより拡大していく(真の)ワークシェアリング・システムの確立などを目指すものである。

特に印象深かった言葉を紹介しておきたい(2つとも内橋の言葉)。

[大原]孫三郎が拓いたカルチャーの凄いところは、それが一代限りではなく、その後の時代を一貫して引き継がれ、しかも考え方が大原社会問題研究所から倉敷中央病院に至るまであらゆる分野に及び、かつ一貫していたことでしょう。
私もその倉敷中央病院について、1978年のころ取材し、やはり『匠の時代』シリーズで書いたことがあります。「倉敷物語」と題しまして、その1つの章を「病院の赤い屋根」ということにしたんです。というのも病院の建物をめぐってさえ驚いたことがたくさんあったからなんですね。
現在の地上十階建ての病院の屋上に、レンガ色した赤い帽子が乗っかってますが、まるで天守閣のように見えるその屋根の赤い瓦は、大正12年(1923)にできた旧棟の屋根瓦を一枚一枚、ていねいにはがして、それを新しい病棟の屋根に移し替えて、また一枚一枚張りつけていったものだというのです。なぜ、そんな手間のかかることをしたのか、と言えば、長い時間、倉敷市民の心に根づいた「緑の中の赤い屋根」の原風景を、病院を建て替えた後も消さずに生かし続けたい、と倉敷市民も患者も医師も、そして病院経営者も望んだからです。1973年、つまり旧倉敷病院が生まれて50年後に、孫三郎の子息、大原総一郎氏が決断して新病院の起工式が行われています。
私が訪ねたころ、真新しい10階建ての建物の屋上ばかりでなく、壁面にも張りつけられた赤い瓦の上に、緑の蔦が一面、柔らかな葉を茂らせていました。病院の設立から当時で57年と聞きましたが、孫三郎の築いたカルチャーがたしかに生きてるなあ、そう実感させられたものです。(pp.101-2)

「失敗はしてもまた復活できる社会」が、真の意味での市民社会だと思います。(p.107)

僕は本書の議論に大きな共感を覚えている。しかし、果たしてそれは「実感」「現場感覚」以上のものであるのだろうか? 論理的な整合性に厳格な理論経済学者は、本書の議論を「実感派エコノミストのしろうと談義」として一蹴する可能性が高いだろう(佐和隆光『経済学とは何だろうか』pp.27-9, 172-3, 178-80)。この事実を社会科学者として僕はどう受け止めればよいのだろうか? 〈実感信仰〉と〈理論進行〉(丸山真男『日本の思想』)の悪循環に悩まされる日々はまだ当分終わりそうにない。いや、永遠に続くかもしれない(苦笑)。

評価:★★★★☆

*1:すなわち、投機的なマネーの動きが実体経済を圧倒する「マネー資本主義」、その結果としての「一人勝ち社会」(今日では「格差社会」という表現のほうが一般的であるが)。

*2:まるで未来を見透かしていたかのように、実際、2007年になって、アメリカのサブプライムローンの破綻をきっかけに世界的な金融危機が発生したわけである。