乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

ロナルド・ドーア『働くということ』

著者は高名なイギリス人社会学者。本書は2003年に日本で行った講演(ILO東京大学法学部との共同主催)の原稿がもとになっている。著者自身、本書を「私の半世紀にわたる社会学者としての一種の回想・総括である」(p.ix)としている。

グローバリゼーションが加速する中、所得の格差や雇用機会の格差が拡大している。社会的「連帯」への合意、労働の「公正さ」あるいは「有用性」に関する合意は、「強者の力を解き放ってそれをフルに展開させてこそ、弱者のセーフティネットを充実できる」(p.132)という新しい合意(いわゆる「市場個人主義」)に圧倒され取って替わられつつある。このように本書は『ますますグローバル化する世界における労働の新しい形と意味(New forms and meanings of work in an increasingly globalized world)』(本書の原タイトル)を否定的・批判的に描き出そうとする。

原タイトルの示すテーマそのものについては、すでにレヴューした伊豫谷登士翁『グローバリゼーションとは何か』*1やリチャード・セネット『それでも新資本主義についてゆくか』*2のほうが具体的で内容的にも深い議論をしているように思われる。その点で本書に若干の物足りなさを覚えないわけではないが、他方で、本書は思想史的に興味深い論及を数多く含んでいる。タウシッグ(pp.63-4)、トマス・アーノルドとT.H.マーシャル(pp.127-9)、アレント(p.198)らの議論の(再)評価はいずれも短いながらも含蓄に富む。何度も唸らせてもらった。

訳文は流麗で違和感なく読める。訳者は良い仕事をしている。

なお、「はじめに」末尾の謝辞にM岡さんの名前が含まれていたことは、同僚として誇らしく嬉しかった。

評価:★★★☆☆