乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

渡部昇一『自由をいかに守るか ハイエクを読み直す』

非専門家(英文学者・・・と言うよりは保守派の評論家or何でも屋?)によるハイエク『隷従への道』への入門書(コメンタール)。本書の評価は難しい。なるほど『隷従への道』という書物のエッセンスは表現できているかもしれない。

ハイエクがいいたかったのは・・・自由市場に政府が干渉すると結局人間の自由が根こそぎ失われるということなのである。(p.4)

結局、われわれには二つの道しかないとハイエクはいいます。それは個人を超えた非人格的な諸力に身を任せる道――自由主義経済ということです――と、もう一つは絶対権力を振るう人に身を任せる全体主義の道です。二番目の道が駄目なことはソ連の崩壊が示してくれました。だから、われわれには選択肢が一つしかないということです。(p.307)

しかし、ハイエク思想の専門書をそれなりに読んでいる身としては、本書は読者をミスリードしそうで怖い。本書を読んでハイエク思想のエッセンスをつかんだ気になられては困るのだ。ハイエクほど二分法的思考を頑なに拒んだ思想家はいないのに、本書が描き出すハイエクは強烈な二者択一を読者に強いている。ここに僕は大きな違和感を覚える。ハイエクの思考はこんなに単純なのか? ハイエク思想を『隷従への道』で代表させてよいのか? 僕の答えは「NO」である。

『隷従への道』はハイエクLSE教授時代の1944年(第二次世界大戦中)に公刊された。もともとイギリス国内向けの啓蒙書として書かれたものであったが、本国のイギリス以上にアメリカで大成功を収め、ハイエクが世界的に著名な政治哲学者・社会理論家になる契機となった。しかし、この時点のハイエクは、イギリス的な「自由主義」とドイツ的な「集産主義(設計主義)」を二項対立的に対置しつつ、社会主義全体主義イデオロギー的共通性を指摘して批判するという論法をとっており、その反射として「自由主義」の利点や特性を述べるにとどまっている。ハイエク自由主義思想が十全に展開されるのは、やはり後年の主著『自由の条件』(1960)および『法と立法と自由』(1973、1976、1979)まで待たねばならない。それらとの関連について沈黙している本書は、ハイエク思想の入門書としての資格を欠く。やはり素人の著作であると評価せざるをえない。

「あとがき」に書かれている著者と西山千明氏(『隷従への道』の訳者)との諍いも、読者にとっては興ざめ以外の何ものでもない。私憤を文章化されてはたまらない。読後感の何とも良くない書物である。

自由をいかに守るか―ハイエクを読み直す (PHP新書 492)

自由をいかに守るか―ハイエクを読み直す (PHP新書 492)

評価:★☆☆☆☆