ゼミ・テキストとしてお世話になった『セブン-イレブンの「16歳からの経営学」』*1に先立つ、ジャーナリスト・勝見明と経営学者・野中郁次郎の(おそらく)最初のコラボレーション作品である。「DAKARA」「チョコエッグ」から「黒川温泉」や「千と千尋の神隠し」に至るまで、ここ数年のヒット商品が13例登場する。それぞれ物語編を勝見が、解釈編を野中が担当している。
僕が野中の「知識創造型経営」の理論に初めて触れたのは、2005年2月、『知識経営のすすめ』(ちくま新書)を通じてであるが、当時の「乱読ノート」*2を読み返してみると、「いまいちピンとこなかった」と正直に告白している。今になって思えば、具体例の乏しい本だったから、そういう印象を抱いたのは仕方なかった気もする。しかし、本書では「知識創造」の現場が具体的に描かれているので、ただちに「ピンとくる」わけである。
知識経営のベースにあるのは、現場での直接経験を重視し実存者としての人間を尊重する経営である。自分は何をやりたいのか? 何のために仕事をするのか? 自分の存在価値はどこにあるのか? このような実存的な問いを尊重する企業風土・企業哲学・企業理念こそが、従業員の心に(相対価値ではない絶対価値を追求する)主体的コミットメントを生み出し、その結果としての多様な知の相乗効果(暗黙知と形式知の絶え間ない循環)がイノベーションをもたらす。つまり、「イノベーションが従業員一人ひとりの思いから始まる」(p.311)ということこそ、イノベーションの本質なのだ。これはバブル崩壊以降、それ以前の経営スタイル(いわゆる「日本的経営」)への極端な反省から、アメリカ型の分析的な経営へと過度に傾斜しつつある日本企業が、もう一度見直すべきビジネスモデルである。
僕の心にいちばん強い印象を残したのは、熊本県・黒川温泉の成功事例である。著者自身が述べるように、「この黒川温泉の事例は、舞台が地方の小さな温泉地と、一見、企業社会とは縁遠い世界のように見えるが、人と組織のマネジメントの観点から見ると、個のコミットメントを高めながらもそれが突出せず、組織全体として力を発揮していったモデルとして非常に学ぶところが多い」(p.190)。全体と個のバランスを絶えずモニタリングしている後藤哲也氏の〝静かなリーダーシップ〟の存在の重要性が指摘されているが、これこそ菊池理夫が『日本を甦らせる政治思想』*3で主張した「まちづくり」の具体的実践のためのモデルではないだろうか? 『美徳の経営』*4がマッキンタイア『美徳なき時代』に多くを依拠していたのは、決して偶然ではない。知識経営とコミュニタリアニズムとの間には浅からぬ縁がある。
後知恵的に感じる部分も少なからずあるけれど、いかなる具体例をもってしても、そうした感覚をゼロにはできないだろうから、ないものねだりはやめておく。ウォーム・ハート&クール・ヘッドをまさしく地で行くような一冊だ。素晴らしい。
- 作者: 野中郁次郎,勝見明
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2004/05/13
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 83回
- この商品を含むブログ (26件) を見る
評価:★★★★★