乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

菊池理夫『日本を甦らせる政治思想』

わが国において「コミュニタリアニズム」という政治思想は、最小国家を説く「リバタリアニズム」や市場(万能)主義を唱える「ネオリベラリズム」と比べると、十分に知られていないか、誤解され批判的に語られることがまだまだ多い。本書は、このような無理解をただすために、「コミュニタリアニズム」の全体像と影響力を一般向けにわかりやすく解説している。

コミュニタリアニズム」とは何か? 著者自身が簡明にまとめてくれている。

1980年代の北米で、当時のリベラリズムリバタリアニズムが個人の自由や権利をあまりにも重視しすぎるために、個人が自己決定で加わるのではない、個人に与えられた家族や地域社会などのコミュニティが解体していく傾向が強まることを批判する政治哲学が登場してきました。
それは、一言でいえばアリストテレス哲学に基づく「共通善の政治学」です。つまり、人間のつながりや共通性を強調し、コミュニティにおける自由で平等な成員がともに熟慮して議論して、共通の目的を実現していく民主主義の政治を主張するものです。その点で、それは個人的な利益追求の「利益政治」を何よりも批判するものです。
このような哲学の影響から、1990年代に社会運動をめざす「応答するコミュニタリアン」運動が登場しました。それは政治的には市場を重視する「右派」でも国家を重視する「左派」でもない、コミュニティを重視する「中道の立場」を唱えるものです。ただ、民主主義や福祉政策の重要性を唱える点では「中道左派」と呼ぶことができます。(p.58)

マッキンタイア、テイラー、サンデル、ウォルツァー(+べラー、パットナム)といった代表的なコミュニタリアンの思想が簡明に紹介されており、たいへん便利である。なお、著者は、「原コミュニタリアン」たるアリストテレス自身の政治思想と区別するために「現代のコミュニタリアン(コミュニタリアニズム)」という言葉を使用しており、そのような意味において、近代以後の哲学や政治をほぼ全面的に否定するマッキンタイア『美徳なき時代』は「原コミュニタリアン」の著作として位置づけられている。

現代のコミュニタリアニズムが、(1)エリートの徳ではなく民衆の徳としての「共通善」を主張し、民衆の平等な政治参加を自然なものと見なしていたこと、(2)極端な経済的不平等が拡大すると民主主義が不可能になるので、福祉政策を重視していること、つまり、「(中道)左派」である――権威主義的・不平等主義的・保守主義的な「右派」ではない――ことは、著者の繰り返し強調するところである。

この新しい政治思想が現実の政治や政策に及ぼしうる影響力についても、本書は十分なページを割いて検討している。「地域分権化」や「まちづくり」について議論する場合に、コミュニタリアニズムは我々に多くの示唆を与えてくれる。現代のコミュニタリアニズムは「家族・地域の絆」の重要性を強調するが、たしかに、京都に約20年住んでいた者としては、地域の景観への愛着なくして「まちづくり」は不可能だと考える。ただ、生まれ故郷である播州の祭り文化に馴染めなかったこともあり(ただし穴子播州産がいちばん美味しいと思うし、出身高校への愛校心も強くある)、郷土への愛着が個人の自由を拘束するものとして反対するリバタリアンの立場にも、強く共感してしまう自分も存在している。約20年住んだ播州を郷土として十分に愛せず、同じく約20年住んだ京都を郷土として愛している自分が悩ましい。結婚するのも子どもを持つのも個人の自由や権限である、という主張にはなかなか抗し難い。相変わらず思想的にどっちつかずの煮え切らない自分を発見するのである。こんなだからいつまでたっても自著の序章が書けないのだなぁ(嘆)。

タイトルはやや大げさ。出版社の指導が入りすぎたか? 

日本を甦らせる政治思想~現代コミュニタリアニズム入門 (講談社現代新書)

日本を甦らせる政治思想~現代コミュニタリアニズム入門 (講談社現代新書)

評価:★★★★★