企業不祥事が多発するなか、企業倫理やCSR(企業の社会的責任)への関心が日増しに高まっている。本書は、来るべき新たな時代に求められる経営の資質を(共通善との一致を使命とする)「美徳」という概念によって、また、ビジネスリーダーの資質を(美徳を実践に結びつけるための実践知たる)「賢慮」という概念によって捉え直し、そのことを通じて主流派経営学(ポジショニング戦略論など論理分析的な経営戦略)の限界を乗り越えた新しい経営学(知識経営=現場の人間が持つ無形資源たる知識を基点に置いた経営戦略)のパラダイムを概説しようとしている。
もっとも、「知識経営=野中経営学」と言ってもよいくらいであるから、本書の特徴が知識経営の主張それ自体にあるわけではない。米国の(スコットランド生まれ)著名な倫理学者アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』を援用して、アリストテレス哲学やマキアヴェリ政治学の遺産を再評価しながら、「美徳の経営」「賢慮のリーダーシップ」を説いている点が、他の野中氏の著作と比べた場合の本書の最大の特徴であるだろう。
本書によれば、賢慮型リーダーシップは、実践的推論を軸として行為を現実化する次の6つの賢慮の要素(能力)からなっている。すなわち、①善悪の判断基準をもつ能力、②他者とコンテクストを共有して共通感覚を醸成する能力、③コンテクスト(特殊)の特質を察知する能力、④コンテクスト(特殊)を言語・観念(普遍)で再構成する能力、⑤概念を共通善(判断基準)に向ってあらゆる手段を巧みに使って実現する能力、⑥賢慮を育成する能力、以上の6つである(p.103)。そして、賢慮のリーダーシップの6要素を兼ね備えた人物として、チャーチルの名を挙げている(p.116)。チャーチルはエドマンド・バークの『フランス革命の省察』を愛読しており、バークに政治的リーダーシップの範を見出したらしい(pp.190-1)。こんなところでバークと遭遇するなんて、正直なところ驚いた。僕はバークの賢慮概念に関する研究論文を書いているが*1、まさか自分の思想史研究が現代企業の経営問題とこんなにダイレクトに絡んでくるとは思いもしなかった。良きリーダーの条件は政治でも経営でも変らない、ということになりそうだ。
⑥の後進育成能力が賢慮型リーダーシップの要素の一つに数えられていることにも、大いに興味をそそられた。高橋伸夫は『できる社員は「やり過ごす」 (日経ビジネス人文庫)』*2の第2章「「尻ぬぐい」で組織はまわる」で、以下のような非常に面白い調査結果を発表している。会社員で業務の量(労働時間)や多忙感がいちばん大きいのは係長クラスで、その理由は彼らが上司や部下の不手際や不始末の「尻ぬぐい」を引き受けているからだ。自分が片付けたほうが速くて正確であるようなルーチンの仕事でも、とりあえず部下にまかせてやらせてみて、仕事を覚えてもらい、それで結果的にうまくいかなかった場合は、覚悟をきめて自分が尻ぬぐいにまわる。このような係長の「賢慮」と呼ぶにふさわしい資質を支えているのが、(年功賃金制度などに象徴される)「未来傾斜システム」である、と。
このように考えると、賢慮型リーダーシップは(ここ数年非常に評判の悪い)日本的経営システムと親和性を有しているように思えるのだが、実際のところはどうなのだろうか? 即断がすぎるだろうか?
「おわりに」は小編だが秀逸な教育論であり、大きな共感とともに教養と物語の重要性を再確認することができた。
惜しまれるのは、トム・モリス『アリストテレスがGMを経営したら』*3と内容上の重複が多く、その意味で新鮮さを欠いていることだろうか。どちらもアリストテレス哲学を基盤とした経営論だから、内容が似通ってしまうのは仕方がない気がするけれども。
- 作者: 野中郁次郎,紺野登
- 出版社/メーカー: NTT出版
- 発売日: 2007/05/01
- メディア: 単行本
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評価:★★★★☆
*1:田中秀夫・山脇直司編『共和主義の思想空間―シヴィック・ヒューマニズムの可能性』第4章。論文中では「慎慮」と訳出している。
*2:2005年1月 http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/%7Enakazawa/reading2004.htm