周知のように、文化大革命は毛沢東思想を理論的支柱としている。その思想(革命精神)を国民一人一人が反復学習によって身につけるために、毛沢東の言葉(格言・警句・名言など)がテーマ別に一書にまとめられた。それが本書である。文化大革命時代の映像で印象的なのは、人民服に身を包んだ大衆がこの赤い表紙の小冊子を高々と揚げながら行進している光景である。文化大革命とは何だったのか? それを知るための手がかりとして、本書を手に取った。
本書には、一般的すぎて退屈な言葉もあれば、自己撞着がすぎて首をひねる言葉もあるし、人を威勢よく鼓舞する言葉もある。
人民を組織することは、われわれにかかっている。中国の反動分子は、われわれが人民を組織してこれを打倒することにかかっている。反動的なものは、きみが打たないかぎり倒れない。これは掃除と同じことで、ほうきが掃かない限り、ゴミは自分から逃げ出さないのが通例である。(p.42)
もし、かれらが戦いをしかけてくるならば、徹底的に殲滅するまでだ。ことがらはつぎのようにはこぶのだ。敵が攻めてくれば、われわれは殲滅してやる。そうすれば敵は納得する。すこし殲滅してやれば、すこし納得する。たくさん殲滅してやれば、たくさん納得する。徹底的に殲滅してやれば、徹底的に納得する。中国の問題は複雑だから、われわれの頭もいくらか複雑にならなければならない。相手が攻めてくるなら、われわれも戦うが、戦うのは平和をかちとるためである。(p.102)
ただ、全般的な印象として強く残ったのは、それらの「読みにくさ」「わからなさ」である。解説(田崎英明)で指摘されているように、「これらの言葉は、『語録』へと編集される過程でコンテクストを失い、指示対象を同定するための手がかりを失う」(p.303)。つまり、どのようにでも解釈できるぶん、その実、何を言っているのかわからない。そんな引用であふれている。
そもそも、頻出する「実践」や「矛盾」といった言葉などは、その抽象性ゆえ、コンテクスト抜きで理解できる代物でない。裏を返せば、読み手(大衆)は自分勝手な解釈をその言葉に与えて、毛主席との一体感に酔いしれることができる。本書が読み手にそれを許す構造を有していたからこそ、毛沢東の権威を借りた陰惨な粛清が日常茶飯事化し、革命の理念と正反対の結果を生み出してしまった、とも考えられる。本書の中でどれほど繰り返し官僚主義・教条主義の危険性が説かれていても、官僚主義・教条主義の正当化に本書は利用可能なのである。
訳者(竹内実)解説によれば、文化大革命の10年間で50数億冊が出版されたとのこと。当時、世界の人口は30億余りであったから、まったく途方もない数字である。途方もない数字であるがゆえに、熱狂から冷めた後、本書が突如として読まれなくなってしまったことは奇妙に思えたが、僕自身が冷静な頭で読んでみれば、それも当然のことであったように思われる。精読する価値内容を有さない、というのが現時点での僕の読後感である。何だかバブル崩壊に似ているな。
- 作者: 毛沢東,竹内実
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1995/12/11
- メディア: 文庫
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評価:★★☆☆☆