乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

ヤン・カールソン『真実の瞬間』

すでにレヴューした小笹芳央『会社の品格』*1に以下のような逸話が紹介されていて僕はとても強い感銘を受けた。

仕事の使命感について語るとき、こんな逸話がよく語られます。あるとき街を歩いていた旅人が、石を積んでいる職人に聞きました。「あなたは何をしているのですか」と。すると、職人は答えました。「見ればわかるだろう。石を積んでいるのだ」と。ところが旅人は、もう少し歩いて、同じように石を積んでいるもう一人の職人に同じ質問をしてみました。すると、その職人はこう答えたのです。「私は教会を造っているのです」と。
同じ石を積むという仕事をしている職人なのに、一方は「石を積んでいるだけだ」と答え、一方は「教会を造っているのだ」と答えた。果たしてどちらの職人が、自分の仕事にやりがいと誇りを持ち、高いモチベーションでその仕事を継続できるでしょうか。当然それは後者でしょう。
教会を造っていると答えた職人は、自分の仕事に命を使う価値、使命感を持ちながら取り組めているからです。逆に、石を積んでいるだけだと答えた職人は、自分の労働時間を切り売りしているだけに過ぎません。同じ仕事でも、その目的を意識できるかどうかで、これだけの差が出てきてしまうということです。この逸話が暗示するのはこういうことです。自分の仕事が、石を積むというレベルではなく、教会を造っているのだというレベルで再解釈できる状況をつくることができれば、人々は使命感を持って仕事に取り組むようになる、と。(『会社の品格』pp.129-31)

ところが『会社の品格』にはこの逸話の出所が明記されておらず、それがずっと気になっていた。先日たまたま米倉誠一郎『脱カリスマ時代のリーダー論』*2を読み直していたら、その逸話の出所が本書であることが記されていた(『脱カリスマ時代のリーダー論』p.33)。このような次第で本書を手に取った。

本書は、SAS(スカンジナビア航空)社長である著者が、いくつもの企業の経営再建に携わりそれを成功させてきた体験を踏まえながら、自身の経営哲学を説いたものである。

タイトルにもなっている「真実の瞬間」とはどういう意味か?

スカンジナビア航空を形成しているのは旅客機とかの有形資産の集積だけではない。もっと重要なのは、顧客に直接接する最前線の従業員が提供するサービスの質だ。
1986年、1000万人の旅客が、それぞれほぼ5人のスカンジナビア航空の従業員に接した。1回の応接時間が、平均15秒だった。したがって、1回15秒で、1年間に5000万回、顧客の脳裏にスカンジナビア航空の印象が刻みつけられたことになる。この5000万回の?真実の瞬間?が、結局スカンジナビア航空の成功を左右する。(pp.5-6)

顧客と市場が経済活動を主導する時代が到来しつつある。この転換期を生き抜くためには、会社を「顧客本位」の社風(企業文化)を持つように作り変えなければならない。そのためには、顧客と市場にじかに接する現場の従業員に権限を委譲することが必要であり、また、リーダーは古いリーダー像(指令・意思決定)を新しいそれ(現場へのビジョンの伝達・徹底、動機づけ、コーチ)へと転換させ、コミュニケーション能力の研鑽に励み、現場の従業員との対話から新しい価値を生み出すように努めなければならない。
こうした主張は今日では決して目新しいものではないように思われるが、本書が書かれたのが20年以上も前の1985年であり、日本語版も1990年に公刊されてから2007年までに45刷を数えていることを鑑みれば、本書の主張がいかに高い普遍性を獲得しているかがうかがえる。

随所で紹介されている自身の失敗経験も本書の説得力を高めることに一役買っている。学者には書けない本だ。なお、先の二人の石工の逸話は本書の187ページ以下で紹介されている。

真実の瞬間―SAS(スカンジナビア航空)のサービス戦略はなぜ成功したか

真実の瞬間―SAS(スカンジナビア航空)のサービス戦略はなぜ成功したか

評価:★★★☆☆