今やワイドショーのコメンテーターとしても売れっ子の精神科医・香山リカさん。最近の香山さんの著作はすらすら読め進められるものが大半だが、8年前(1999年)に出版された本書は、香山さんの著作の中では比較的初期のもので、やや読みづらい部類に属する。*1
内容それ自体は決して難しくない。ただ、最初の50ページほどは、「どうして最近心理学・精神分析学がブームになってきたのか」について、1980年代の哲学・思想の状況(および自分史)と関連づけて説明しようとしているため、哲学用語(「リゾーム」「シニフィアン」など)や哲学者名(「ラカン」「ドゥルーズ」ら)が多く登場する。その分野の予備知識のない普通の大学生は「?」の連発ゆえに拒絶反応を起こしてしまうかもしれない。したがって、53ページあたりから読み始めるのがよい。同じ理由で199ページ以降も読み飛ばしてかまわない。
第4章「アイ・ラブ・ミー?」が本書の中核部分と言えるだろう。1990年代に入って忽然と登場し普及した「私探し」という言葉。それはもはやブームと言ってもよい。「私探し」が盛んになったのは、「いまの私はほんとうに私じゃない。どこかに特別なわたしがいるはずだ」という自己愛的な「誇大自己探し」の欲求が、多くの人々の心の深層に広がったからである。しかしそれは多くの弊害や副作用をもたらす精神病理的な現象だ。
そもそも理想の自己というものは、「それを目指して努力するもの」である。しかし、「私探し」ブームにおいては、「探し」という言葉が端的に示しているように、その理想の自己というものは、「すでにそこにあり、発見されるもの」とされている。彼/彼女は「こっちにある?」「あっちにある?」と際限のない「自分探し」に明け暮れるか、あるいは、傷つきたくないために、「探していないから見つからないだけ」と自分に言い聞かせ続けることになる。根っこにあるのは、幼児的な誇大自己の修正・放棄の失敗である。
「どこかに実在して隠れているほんとうの私」を見つけだそうとしてしまうのは、やはり危険と言わざるをえないでしょう。「理想の私のイメージに向かって地道に努力せよ」などと言われると、だれだってうんざりしてしまうとは思いますが、基本的には「ほんとうの私」とは、パッと変身してそうなるものではなくて、あくまでのいまの自分と地続きで、段階的に目指されるべきものなのです。(p.193)
「誇大自己」に向かうエネルギーをうまくコントロールすることによって、しっかりした等身大の自己イメージを作り上げていくことの重要性を、著者は読者に呼びかけている。当たり前を確認しただけのように思われるかもしれないが、少しよく考えてみれば、現代社会ではもはや当たり前が当たり前でなくなっていることに気づくはずだ。
「アダルト・チルドレン」という言葉の安易な使用に警鐘を鳴らしている第2章「「かわいそうな私」の物語」は啓発力に富む。心理学・精神医学系の一般書には「よくできたお話」の域を出ない「うさんくさい」ものが少なくないが、批判的精神に富む本書は信頼に値するように感じられた。7期ゼミのテキストとして採用したが、ゼミ生の反応も良好だった。
- 作者: 香山リカ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1999/06/18
- メディア: 新書
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評価:★★★★☆
*1:最近の著作が平易に書かれすぎている、とも言える。