乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

渡辺利夫『神経症の時代』

森田正馬(もりた・まさたけ、1874-1938)は、後に森田療法として知られることになる独自の療法を創始し、神経症者の治療に大きな功績を残した精神医学者である。本書は、神経症倉田百三の苦闘(第1章)、森田の人間観と生涯(第2・3章)、孫弟子岩井寛の最期(第4章)を描き出すことを通じて、日本の医学界で長らく顧みられることのなかった森田の学説と思想(人間観・死生観)に迫ろうとしたものである。

森田の考えによれば、神経症は病気ではない。その正体は神経質という性格である。そうした性格は人間なら誰でも多かれ少なかれ持っているものである。

自然生命体である人間は、生の欲望において強い存在である。しかし、生の欲望が強いということは、生の完遂を妨げるものを忌み嫌い、それから自己を防衛しようという心理においてもまた同様に強いことを意味する。われわれが恐怖する最大のものが死であるのは、人間が生の欲望においてそれだけ強いことの反映である。生の欲望と死の恐怖とは同一事実の両面であって、生の欲望の強い者ほど死の恐怖は強く、生きたくない者には死も恐ろしいものではない。
死を恐怖し、病気を不安に思い、その不快を気にすることは、人間共通の真理である。神経症者とは、この不快、不安、恐怖を誰にもありうる当然の心理とはみなさず、これを異物視し、排除しようとはからい、そのためにますます強く不快、不安、恐怖にとらわれていった人びとである。神経症は異常ではなく、生の欲望において強い人間がある機制によって陥った一つの心理状態なのである。(p.68)

神経質的な人びとが自己をとやかく内省的、批判的にみつめるのは、彼らが向上発展欲において強いからである。向上発展を強く求めるがゆえに、それを妨げる可能性のある身体的、精神的な病覚に関心をもたざるをえず、実際には異常ではないにもかかわらず、これに主観的にとらわれ、このとらわれが心に膠着してしまうのである。
したがって、この「主観的虚構性」のからくりから症者を解放してやるならば、彼らは自己の向上発展を求めるその真摯のゆえに、また粘り強い精神力のゆえに、他の性格類型の人びとよりもいっそう優れた人間活動の発揚をみせるであろう。神経症者のもつこうした肯定的な一面に光を当てたところが、正馬の症者観の大きな特徴である。(p.75)

森田は、このような神経症観および人間観にもとづいて、強迫観念のあるがままを受け入れること、それが神経症の治癒につながることを説く。

神経症とは、過度の意識性が特定の一点のみに局限され、その一点以外への意識性が希薄化した心の状態である。したがって人間感情のすべてに意識が万遍なく行き渡り、特定の一点への意識集中が相対的にその「水位」を下げていくことが、神経症の治癒なのである。症状が消えるのではない。症状は探しだせばまごうことなく存在するが、それへの意識の執着がなくなることが治癒である。つまり正馬にとっての神経症の治癒とは、帰するところ「意識の無意識化」である。(p.103)

森田の主張内容は、神経症者を健常者に回帰させる最重要の療法を「無意識の意識化」に求めるフロイト精神分析フランクルの実存分析の正反対である。森田の活躍した大正時代、日本の精神医学界はフロイトの影響が顕著であり、森田の学説は事実上黙殺された。しかし、

森田は死への恐怖をあるがままに引き受けて(生の欲望に身を任せて)人生を送るべきことを説いた。その教えを忠実に実践した孫弟子岩井寛の壮絶な最期は、読み手の心を揺さぶらずにはいられないだろう。

著者はアジア経済研究の権威的存在である。「どうして経済学者が精神医学の本を?」という当然湧き上がるであろう疑問に対する答えは、著者自身が「文庫版へのあとがき」に記してくれているので、それに譲りたい。

とにかく、限られた字数で本書の深遠な内容を紹介することは僕の能力を超えている。ぜひ実物を手にとって読んでいただきたい。人生観が変わるはず。開高健賞正賞。

評価:★★★★★(本音は★★★★★★★★★★)