前著『現代社会の理論』*1の続編と言ってよいだろう。僕は前著を「小さなボディーに似合わない本格的な理論書」と評したが、本書への評価もほぼ同様で、予備知識ゼロの読者に向けた「入門」書だとは認めがたい。著者によれば、大学で担当してきた社会学の「講義のノートとメモを基にして再現したもの」(p.211)らしいが、それにしては読み進めるのに骨が折れる。著者が本書全体を通じて何を読者に伝えようとしているのか、一度読むだけでは把握できない。二度、三度と読み返して、ようやく本書全体を貫く問題に気づき始めた。その問題とは(おそらく)「自由な社会の条件とは何か?」であって、序章コラム・5章・補章にその問題意識がいちばん鮮烈に表現されているように思われる。
2001年の同時多発テロが象徴するように、「関係の絶対性」――僕はそれを「善悪二元論」と言い換えて理解した*2――の思想を止揚しなければ、「自由な社会」を構想することはできない。著者は、テンニースの議論を手がかりにしつつも、「ゲマインシャフト(共同態)」から「ゲゼルシャフト(社会態)」へという段階論を退ける。両者が重なり合って人間社会の一般的構造の形式をなしている、と理解する。
「自由な社会」では個人の同質性ではなく異質性をこそが積極的に受け容れられるはずである。したがって、個々人が自由に選択・脱退・創出できるようなユートピアが、一元的にではなく多元的に存在しなければならないし*3、それをルールによって保証するような社会こそが、著者の構想する「自由な社会」なのである。*4このような著者の構想は他者の両義的な理解――他者は私にとって生きることの意味と歓びの源泉である一方で、私にとって生きることの制約と困難の源泉でもある――に裏打ちされている。このような社会観・他者観は、基本的に、僕自身の見解とも一致している。
序章「越境する知――社会学の門」は、社会学の本質とそれを学ぶことの意味を明快に説いた好編だが、以降の章は、やや軽めのエッセイ調の章とやや重たい理論的な章が混在しており、しかも教科書のような体系的議論が展開されているわけではない。その意味で本書は初学者に奨められない。僕が奨めるのは、『現代社会の理論』をいったん読了した者が次なるステップとして本書を読むことである。
- 作者: 見田宗介
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/04/20
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評価:★★★☆☆