乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

ピーター・マサイアス『経済史講義録』

著者のピーター・マサイアス・オックスフォード大学名誉教授は、国際的に著名な経済史研究者である。僕が勤務する大学の経済学部および大学院経済学研究科はそのマサイアス教授を2006年9月に招聘研究員としてお迎えすることができた。本書は、一人でも多くの日本人読者が教授の学問業績に親しめるよう、その時の講演・セミナー原稿および未公刊論文から5編を選んで邦訳し、一書へと編んだものである。

本書は経済学部における1年次生配当の選択必修科目「経済史1・2」の教科書として使用されると聞いている。5つの章の各々の冒頭には訳者による2ページの「解題」が付されており、予備知識に乏しい初学者でも本書に親しめるよう教科書的配慮がなされている。その解題を読めば本書のおおよその内容は理解できるわけだが、ここでは解題とはやや違った角度から本書を紹介したい。僕は経済史を専門としていないが、門外漢ならではの目線(読み方)というものも存在しうるように思う。解題とはやや違った角度から、しかも解題よりも少しでもやさしく、できるだけ1年次生の目線に近い位置から、本書の内容を若干の補足説明を交えながら紹介したい。

第1章「ロビンソン・クルーソー物語を経済史の目で見ると――子どもの冒険物語か、洗練された経済学の神話か――」は、誰もが知っているダニエル・デフォー(1660?〜1731)のベスト・セラー小説『ロビンソン・クルーソー漂流記』(1719)の新しい読み方を提起している。それが、子ども向けの冒険物語としてのみならず、この作品が書かれた当時(18世紀初頭)のイギリスの経済的・道徳的価値観を集約的に表現した歴史的資料としても読めることを示そうとしている。*1その経済的・道徳的価値観とは、「勤勉」と「改良」は物質的な豊かさを増進させるから道徳的に善であり、逆に「余暇」と「怠惰」は物質的な豊かさを減退させるから道徳的に悪である、という価値観である。

中世的なキリスト教神学(カトリック)においては、現世の生活は来世の幸福(魂の救済)に役立ちさえすればよく、現世での物質的な幸福(生活資料の調達)を軽視する傾向が強かったわけだが、それに対して、近代的なキリスト教神学(プロテスタント、特に非国教徒)においては、現世での物質的な幸福が重視され、物質生活を改良しようとする勤勉な努力は神の意思に適っており道徳的に善である、と考える傾向が強まった。プロテスタント非国教徒であったデフォーは、クルーソー無人島での悪戦苦闘を描き出すことを通じて、「勤勉」と「改良」への努力が物質的な豊かさに帰結することを示し、同時に、そうした努力が道徳的に善であることも示した。

無人島に打ち上げられたクルーソーにとって、富の源泉として貿易を強調することは意味がない。そもそも貿易相手がいないからである。したがって、富は生産によってしか獲得するほかない。無人島に漂流したという設定それ自体が、当時の貿易重視の経済思想(一般に「重商主義」と呼ばれる)への潜在的な批判となっている。またクルーソーは余暇を余暇として漫然と過ごしたりしない。決して時間を無駄にせず、将来の時間の節約のために現在の時間をあえて犠牲にしようとする。彼は道具や資本設備の製作といった投資行動を積極的に推進する。デフォーは、クルーソーのそのような行動様式を通じて、「生産的投資、生産を支えるより高水準の資本設備、高い労働生産性、より大きい余剰、新規投資といった経路でより生産的な経済へと持続的に進歩していくという理想像」(p.32)を示している。ここには、アダム・スミスが『国富論』(1776)で定式化に成功した資本蓄積・経済成長のモデルが、小説の形式を借りて一足(約半世紀)早く提出されている、と言ってよい(ただし、『国富論』のように分業が生産性増大につながることは示されていないけれども)。

第2章「「共生」する経済史をめざして」は、経済史という学問の歴史を概観したものである。どんな学問にも歴史がある。経済学には経済学史が、政治学には政治学史が、社会学には社会学史があるように、経済史という学問にも固有の歴史がある。経済史という学問はいつどのように始まったのか? 端的に言えば、19世紀、イギリス産業革命研究から開始された。最も重要なトピックは「産業革命によって労働者階級の生活水準は低下したのか、上昇したのか」という問題(いわゆる「生活水準論争」)であり、当初は「生活水準は低下した」という見解を採用する急進的伝統が圧倒的に優勢であった。産業革命は労働者階級にとって災難として位置づけられた。実際、工業化の過程で深刻な社会問題が顕在化したことは確かである。

しかし、20世紀に入ると、数量データを駆使した新しいタイプの経済史研究(計量経済史)が登場する。経済理論と統計的分析という専門的技術の導入によって実質賃金の推計が可能となり、「生活水準は上昇した」とする楽観的解釈が優勢になった。アシュトン『産業革命』(岩波文庫)はその代表的研究として有名である。

ところが、こうした楽観的解釈は急進的陣営に新たな反発と疑問を引き起こした。果たして労働者階級の生活水準は実質賃金指数だけで判断できるのだろうか? 数量的表現への疑念は、一方で、エドワード・トンプソンらに代表される社会史・文化史研究を活性化させたし、他方で、経済成長の原因を資本・労働・資源の投入量だけでなく企業家精神のあり方にも求めようとする経営史学の顕著な発達へもつながった。

また、所有権や契約といった制度を経済変化と結びつけ、それらを「インセンティブ」や「取引費用」といった経済学的な概念装置で説明しようとする新制度派経済学の成果も注目されるようになった。それは数量経済史とは異なった方法で経済理論を経済史に導入する試みとして評価できる。ノーベル経済学賞(1993年度)を受賞したダグラス・ノースの業績が代表的である。

イギリスという「国」、産業革命という「時代」「トピック」の枠を超え出る経済史研究も続々と登場するようになった。産業革命前夜のいわゆる「プロト工業化」期(とりわけミクロな地域コミュニティの人口動態)への関心の高まりは、社会的変化と経済的変化の複雑な結びつきに関する重要な認識をもたらした。また、それに呼応するかのように、超長期のグローバルな経済発展過程への関心も高まった。とりわけイマニュエル・ウォーラーステインの「世界システム論」は、世界全体を「中心地域」と「辺境地域」の関係でとらえ、前者による後者の搾取(市場関係の侵略的側面)を強調するラディカルな仮説を提出したことによって、大きな注目を集めた。

このように経済史という学問の歴史をおおまかに振り返ってみると、それはたえまない専門化・細分化・多角化・ハイブリッド化の過程であったかのように見える。しかし、産業革命研究から生まれた伝統的な経済史学がその役割を失ったわけでは決してない。「たとえ経済史が自らの分野での争いに敗北するという危機に瀕していたとしても、今やそれは復活をとげつつあり、さらに広い意味で、全体としての闘争には勝利を収めつつある」(p.66) と、マサイアス教授は経済史の未来を楽観的にとらえている。伝統的な経済史学は隣接諸分野に「敗北」したのではなく、むしろそれらと「共生」する道を選択したのだ。

第3章「「ヨーロッパ」の成り立ちを考える」第4章「イギリスとヨーロッパ――長すぎた婚約か、不承不承の結婚か――」は、それぞれ「ヨーロッパ」「イギリス」としてのアイデンティティの歴史的変容を扱っている。ヨーロッパ人が「ヨーロッパ的」と言う場合、あるいは、イギリス人が「イギリス的」と言う場合に、そこに暗示されている意味内容の歴史が問われている。どうしてこの問題が経済あるいは経済史と結びつくのであろうか? 実はトルコのEUヨーロッパ連合)加盟やイギリスのユーロ拒絶といった問題は、こうしたアイデンティティの問題にその根を有しているのである。

「ヨーロッパらしさとは何か?」と問われて、誰もが納得できるような答えを提出できる者などいない。その答えは時代とともに異なる。しかし、古代のローマ帝国、中世の神聖ローマ帝国の文化的遺産の継承者としての自覚が、ヨーロッパ人のアイデンティティの枢要な部分を形づくっていることは間違いない。ヨーロッパの境界の外側にうごめく異教徒(野蛮人)という心的イメージは、古代・中世のヨーロッパにも存在したが、それは近代の啓蒙主義によっていっそう強化された。地理的区分でのヨーロッパに領土を有するトルコからEUへの加盟が申請されているにもかかわらず、その加盟がすんなりと認められないのは、キリスト教共同体としてのヨーロッパ、異教徒すなわち野蛮といったイメージがヨーロッパ人の心に依然として強固に残存し、トルコがイスラム教国家である事実が「非ヨーロッパ的な野蛮」を連想させるからである。

長年にわたってロシアがヨーロッパから排除されてきたのも、ローマ教会とロシア正教会との積年の対立という宗教的要因が背後にあった。しかも、ロシアの異端的イメージは社会主義国ソヴィエト連邦の成立によっていっそう強められた。もともとの文化的異質性に政治システムの異質性までが加わったからである。しかし、このような事実は、裏を返せば、今後EUがトルコやロシアにどのような態度をとるかによってヨーロッパの概念的アイデンティティは再定義を迫られる、ということでもあるだろう。

トルコやロシアと異なり、イギリスがヨーロッパの一員であることは疑いのないところであるが、それにもかかわらず、イギリスは伝統的にヨーロッパから一定の距離を置いてきた。ヨーロッパへの無制限で永続的なコミットメントを嫌ってきた。ヨーロッパ統合問題に際しても、EECの設立に反対し、EFTAというライバル組織を設立した。結局、1973年にイギリスはEECに加盟し、EFTAは崩壊したが、EEC加盟後も金融政策の自立性や経済的主権にこだわり続けた。イギリスが共通通貨ユーロに不参加であるのも、このような「イギリスらしさ」へのこだわりの結果である。ユーロの採用は通貨政策上の主権を放棄することを意味し、イギリスのアイデンティティを揺るがすものであったからだ。

イギリスは、ヨーロッパ的であることとイギリス的であることの間を揺れ動きながら、常に不承不承のパートナーとしてヨーロッパに関わってきた。マサイアス教授自身は「今日の不確実性にもかかわらず・・・イギリスが欧州中央銀行に参加し、ユーロを受け入れることが、長期的には、自国の利益にもっとも適っているという見方に賛同する」(p.128)と自らの立場をはっきりと述べておられるが、その道のりは決して平坦でないだろう。最終的には経済的利害が優先されるとしても、「イギリスらしさ」へのこだわりが衰退するまでにはかなりの時間を要するだろう。

第5章「世界におけるイギリスの地位の変化――1700年〜2000年――」は、イギリス経済300年の歩みを概観している。イギリスは18世紀末から19世紀前半にかけて「世界の工場」と謳われる世界最大の工業国としての地位を獲得し、世界経済の覇権を握ったけれども、その特筆すべき地位を産業革命に起因するものだと単純に考えてはならない。実際、成長率を見るかぎり、産業「革命」という言葉に反し、それがさほど「革命」的でなかったことがうかがえる。「総産出量増加率は、1740-80年の年率1%から1780-1800年には2%に上昇した」(p.146)程度である。高度成長期(1955-73年)の日本やここ数年の中国の平均成長率が約10%だったことを考えると、驚くほど低い数値を示している。「イギリスの産業革命は、ごく長期にわたって広がるゆっくりとした累積的な成長という現象であった」(p.146)という認識を踏まえて、産業革命以前と以後のイギリスの経済構造を比べてみると、断絶よりも連続のほうに目を奪われる。具体的に言えば、それは貿易(海運)力と金融力の強さである。

不思議に思えることだが、巨大な工業生産力はイギリスに貿易収支の黒字をもたらさなかった。イギリスは最大の輸出国でありながら、それにもまして最大の輸入国でもあった。貿易収支は恒常的に赤字であったにもかかわらず、国際(経常)収支が黒字であったのは、海運サービスや海外投資から得られる膨大な収入(貿易外収支、サービス収支)が貿易赤字を相殺してくれたからである。この事実が示すように、イギリス経済においては、貿易部門と金融部門が産業革命以前・以後を通じて巨大な影響力を保持し続けた。産業革命イングランド北部(ランカシャー)の綿織物工業から起こったとされるが、そこに注目するだけではイギリス経済の発展過程を正しくつかむことはできない。「産業の北部」と「非産業の南部」の利害の錯綜こそが、この時代のイギリス経済を特徴づけるものである 。

繁栄はいつまでも続かなかった。1870年代以降、イギリス経済は相対的な衰退へと向かっていった。しかし、これは大きすぎる成功の代償とも言えるものだった。たしかに、繊維(特に綿織物)・造船・鉄鋼・石炭などの少数の産業は世界経済を支配するまでの巨大な成功をおさめた。しかし、ファインケミカル・自動車・精密機械などの新しい産業部門が市場を拡大させてゆくにつれて(合衆国・フランス・ドイツがこれらの産業を牽引した)、これらの産業は比較優位を失っていった。古い産業部門が大規模になりすぎていたために、イギリス経済は新たな比較優位産業への移行に大きな遅れをとった。科学的な技術開発や技術教育への投資が持続的に行われなかったこと、および、植民地への投資が「衰退」の逃げ道として利用されたことが、産業の空洞化にいっそうの拍車をかけた。

しかし、衰退は死を意味しない。産業の空洞化を最初に経験した国であるイギリスは、今日でもかなりの相対的な豊かさを享受できている。これから多くの先進諸国がイギリスの歩んできた道を早かれ遅かれ歩むことになるだろうが、悲観的になる必要はない。「工業化した後でも長期に渡って命を永らえ繁栄することは可能なのである」(p.179)。

以上、本書の内容を解題とはやや違った角度から、しかも解題よりも平易であることを心がけながら紹介してきた。歴史家E・H・カーは「歴史とは現在と過去との対話である」(『歴史とは何か』)という有名な言葉を残しているが、マサイアス教授の経済史研究には文字どおり「現代と過去との対話」がこだましている。

付記:このレヴューのより十全なバージョンが勤務先の紀要に近日中に掲載される予定である。

経済史講義録―人間・国家・統合

経済史講義録―人間・国家・統合

評価:★★★★☆

*1:ロビンソン・クルーソー漂流記』の経済史的読解という試みは、わが国ではいちはやく大塚久雄によって行われた。大塚の見解は『社会科学の方法』(http://d.hatena.ne.jp/nakazawa0801/20080501)の第2章にわかりやすく表明されているので、マサイアス教授の見解と読み比べてみることをおすすめする。