乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

松尾理也『ルート66をゆく』

本書は、産経新聞外信部記者が、ルート66と呼ばれるシカゴからロサンゼルスまで通じる有名な道路を旅しながら、「ハートランド」と呼ばれる中西部の「保守」地域に暮らす人々の生の声をレポートしたものである。

保守思想を研究してかれこれ20年近くになるが、アメリカの「保守」概念に限定しても、その意味内容の多様さはいまだに僕を困惑させる。その多様さは「一言で説明する」ことを許してくれないきわめてやっかいなしろものであるが、きわめて大ざっぱに言えば、アメリカの「保守」概念には、経済的基準によるものと、社会的基準によるものとがある。実際の現場では両者が複雑に絡まり合った形で表出するのである。

佐和隆光の著作(『経済学とは何だろうか』『経済学における保守とリベラル』など)は、経済的基準によるアメリカの「保守」を知る絶好の手引書であろう。他方、中岡望アメリ保守革命*1は、経済的基準のみならず社会的基準にも目配りしたすぐれた解説書であるが、中央政界の動きを重視した叙述になっているため、中央政界を牛耳るインテリ層に批判的な「草の根保守」層の思想と行動をうまく描き出せていない嫌いがある。1期ゼミのテキストとして読んだ実哲也『米国草の根市場主義―スモールプレーヤーが生むダイナミズム』は、そうした「草の根」保守層の姿を浮き彫りにした傑作ルポだが、さすがに10年以上前に書かれたものであり、内容がかなり古くなってしまっている。本書は、あたかもその続編であるのように、僕の心に迫ってきた。「草の根保守」層の思想と行動を見事に描き出している。これも文句なしの傑作だ。

本書が伝える「草の根保守」層は、経済的利益よりも伝統的・宗教的価値を重視する、独立心旺盛で敬虔で質実剛健な人々である。イギリス本国の「押しつけ」を嫌って独立した米国の建国理念にたえず回帰しようとするがゆえに、連邦への権力集中を良しとせず、中央政府からの「押しつけ」(ばらまきを含む)を極端に嫌い、銃規制に反対して銃で自衛する権利を訴える。子どもの教育においては、公立学校に頼らず、家庭教育を重視する。教会を中心とした地域のつながりを「神のコミュニティー」として大切にしながらも、その敬虔さゆえに進化論を否定し中絶や同性婚に反対する彼らには、たしかにいくぶん頑迷なところもある。しかし、彼らは決して好戦的でも無知蒙昧でもない。

2004年の大統領選挙でブッシュが再選を果たした際、「草の根保守」層がブッシュを支持したことは確かである。しかし、「アホでマヌケ」(マイケル・ムーア)なブッシュが当選できたのは、「草の根保守」が「アホでマヌケ」だったからではない。「草の根保守」の目から見れば、「ブッシュは、社会問題の面でやや保守的という程度で、外交的にはグローバリストであり*2、財政的には大きな政府主義者だ。だから保守でもなんでもない。リベラリストだ」(p.133)。彼らのブッシュ支持はきわめて消極的なものだった。彼らは「気乗りしない支持者(リラクタント・サポーター)」にすぎなかった。

「気乗りしない支持者(リラクタント・サポーター)」として、ブッシュに投票したロンは、みずからの投票行動を、ブッシュの側近中の側近として選挙戦をとりしきったカール・ローブ上級顧問(当時)の戦略に乗せられた結果だと認める。
「保守という絶対に引きつけておきたい層に対して、中絶とか、同性結婚とかいうカードを出してきて、『細かい不満をいっている場合ではありませんよ。ブッシュにいろいろ不満はあるかもしれませんが、ケリーが通ると、そんなことすらいっておれなくなりますよ』と危機感をあおり、味方につけたわけだ」(p.118)

上の引用にもあるように、中絶問題はアメリカの保守の本質を考える際の最重要トピックの一つである。

中絶問題は、保守かどうかをはかる基準のひとつである。そのほかにも、同性婚反対、家族の価値の回復、公教育の場での祈りの復活、ポルノ追放などが、米国において保守か否かをはかる目安にされる。これらの社会的基準とは別に、「小さな政府」「減税」など経済的な基準もあるのだが、現在は社会的基準がどんどん強まる勢いにある。(p.113)

公教育に対する態度も同様に重要である。このトピックをめぐっては、アメリカの保守と日本の保守の相違があらわになる。

日本では、保守の側は、教育による国民としてのアイデンティティの確立を求める。対して、リベラル側は個人に価値をおき、教育もややもすれば不当な抑圧であり国家の押しつけだと感じる。・・・。
対して、アメリカのホームスクール運動は、これも右から左まで多様であるものの、圧倒的に保守の側によって主導されている。それは根本的に、政府の権限は最小限にとどめられるべきで、個人の自由と独立は最大限に尊重されるべきだという保守の理念と分かちがたく結びついている。・・・。
・・・米国では公立離れのためのエクスキューズは必要なかった。なぜならば、中流以上の白人層には強力な道徳的バックボーン、つまり思想がもともと存在したからである。
それは、米国建国の理念にまでさかのぼる保守の理念であったといえるだろう。「自由」と「独立」を尊重し、自分の手の届く小さなコミュニティーですべてをまかなうべきだとする米国の価値観を推し進めると、公教育とは政府による価値観の押しつけであるという考えが生まれる。そこから、子供は親によってこそ教育されなければならないという結論が自然に導きだされてきた。
・・・。
そして今も、米国のホームスクールは保守運動の一翼として日々拡大を続けている。(pp.123-9)

ホームスクール運動に象徴されるように、今やアメリカの保守思想は、部分的に、急進的な反体制運動の性格を帯びている(pp.129-30)が、この点は保守思想の本質に「漸進的改革論」を見る僕の理解――ただし近世イギリス保守思想の研究にもとづく理解――と対立するものである。

「草の根保守」層は不法移民に対してきわめて厳しい態度をとる(武装市民による国境管理)が、それは決して人種的偏見にもとづくものでない。むしろその逆で、かつての黒人奴隷制度が米国の根本理念を傷つけてしまったことへの反省にもとづいている。

その論理はこうだ。黒人の奴隷労働は、安価な労働力に依存し特権階級が富を独占する南部経済の構造を維持するために導入された。一方、現在の不法移民も社会の底辺の単純労働をあてがわれている。ということは、ともに利益追求のために自主独立、自由平等という米国の理念を犠牲にした結果だ。欲に駆られて弱者を搾取するために作り上げた構造だ。
「米国は金もうけだけを考えていていいのか。豊かな暮らしを手放したくないがために、奴隷制にまで手を染めた過去のあやまちを、米国は今一度繰り返そうとしているのではないか。米国民は貧しくともみずからの手で耕し、ささやかな幸せに充足すべきではないのか」。ジムはこう力説するのだ。(pp.183-4)

本書を読むと、《保守=大きい政府=共和党 ⇔ リベラル=小さい政府=民主党》といった単純な二元論にもとづく議論がいかに不十分なものであるかが、よくわかる。一例を挙げよう。2004年のオクラホマ州上院選に元阪神タイガースランディ・バース民主党から出馬し、接戦を制して当選しているが、彼もまた「草の根保守」層の一人である。「オクラホマでは共和党であれ民主党であれみんな保守的だ」(p.121)。

僕が世界でいちばん好きな映画である『オズの魔法使』の舞台は、ルート66が通るカンザス州だった。あの映画の登場人物たちこそ、「草の根保守」層の典型なのだろうか。そう思うと、親近感が増してくる。There's no place like home... このドロシー(『オズ』のヒロイン)の台詞は、息子の難病治療のためにシーズン途中に帰国して阪神を解雇されたバースの心境でもあっただろう。

ルート66をゆく―アメリカの「保守」を訪ねて (新潮新書)

ルート66をゆく―アメリカの「保守」を訪ねて (新潮新書)

評価:★★★★★

*1:http://d.hatena.ne.jp/nakazawa0801/20100101

*2:アメリカ保守の外交政策は伝統的に孤立主義である。(p.115)