乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

桑原耕司『社員が進んで働くしくみ』

岐阜県に本社を置く中堅ゼネコン(1988年創業、社員数約140名)「希望社」。本社ビルの正面には「談合しない。(21世紀型建設業)」と書かれた大きな垂れ幕が下がっている。

著者は、「建築主に良い建築を安く提供する」という理念を実現するために、大手ゼネコン(清水建設)を退社し、希望社を設立した。本書は、希望社の常識にとらわれないユニークな(ユニークすぎる!?)経営についての、社長自身による紹介本である。

先の理念を実現しようとすれば、理念とは無関係に仕事をしているフリだけで給料をもらおうとする「ぐうたら社員」を雇っている余裕はない。そのため、希望社は時間に対してではなく仕事の成果に対してのみお金(給与)を支払う「完全成果主義」を採用している(p.13)。しかし、その成果主義は通常イメージされるそれとはかなり異なっている。

高賃金・高待遇を約束する従来の成果主義は、社員の会社への期待を増大させ、会社への依存度をむしろ強めてしまう危険がある。やみくもに業績を追い求めた結果、一番重要なはずの「理念」が忘却されてしまう危険すらある。理念の具現化のために希望社を作り、その手段として成果主義を導入したはずなのに、これでは本末転倒である(pp.167-8)。

希望社において「理念」は単なるお題目でない。本末転倒を防ぐためには、社員が会社からの給料以外にも収入を得られることが望ましい。会社からの収入よりも他の事業から得る収益のほうが大きくなれば、見かけの結果にとらわれず、賃金の多寡にかかわらず、「理念」を純粋に追い求めることができる。「雇用関係のない会社」が実現される。

これこそが希望社の目指すべき方向である。具体的には、「社内事業家」(p.154)を育成し、会社を踏み台にして、経済的・精神的に自立してもらい、純粋に「理念」を追い求めてもらう。一人一人の生の営みが、もはや仕事ともボランティアともつかないものになる。このようにして、「働かされない働き方」が可能となる。

この「働かされない働き方」は、本書のサブタイトルにもなっており、希望社の理念(「建築主に良い建築を安く提供する」)の精神的支柱(もう一つの理念)であると言ってよい。著者はこうした理念を今村仁司氏の『仕事』から学んだと告白している。(p.68)

これほどまでに理念を重視する会社であるから、その理念を自分のものとし、その達成のために働く人しか残れない(そうでない人を辞めさせる)ような様々な工夫が凝らされている(「自動リストラ装置」「遠心分離グループ」(p.90)など)。社員の生活を守ることよりも理念の追求を優先する会社であるから、それは時として弱者を切り捨てる弱肉強食の会社と誤解されるが、決してそうではない。

最後に、自分自身のビジネス倫理研究との関連で特に印象に残った叙述を紹介しておきたい。すでにレヴューした小笹芳央『会社の品格』*1の叙述(上司の本質的な役割)と重なっていて、たいへん興味深かった。

しかし、社員数が増え、組織が複雑化するにつれて、社員たちの声が私に届かなくなってきました。知りたい情報が上がってこないのでは、適切に問題を解決することができません。
調べてみたところ、一番の問題は「部長」という存在でした。そもそも「部長」というのはどこの会社にも当たり前にいる存在です。継続的な組織の上にあぐらをかいているのですから、改革志向がありません。
組織というのは生き物です。常に「情報」という血液の流れを良くしておかないと、すぐに体がなまってしまいます。この血液を運ぶパイプの役目をするのが、本来の「部長」の仕事なのですが、彼らはそれを果たしていませんでした。
部下から出た「部長」の無能さや無責任に対する批判、会社に対する不平不満、部下の個人的な事情や業務上の問題点などを、自分に都合の悪い情報として覆い隠していたのです。これでは「部長」の存在によって、あらゆることが止まってしまいます。
会社は、社員たちから生まれる数々の不満や要求、こうしたらもっとよくなるのではないかという改革志向によって、揺さぶられるべきものです。それによって、より良い組織に生まれ変わることができるからです。
しかし「部長」たちは、そう考えてはいませんでした。私に問題を伝えると、管理職としての自分の評価を下げてしまうと思っていたのです。それだけでなく、彼らは「部長」という職位を得ることで、高いところから下の者に対してものをいうのが当然というふるまいをしています。「部長」の職責は果たさず、ふるまいだけは「部長」なのです。こんな無能な人間の下では、いくら有能な社員を配しても人が育ちません。
このような問題が明らかになってきたため、私は大規模な組織改革を行い、「部」と「部長」を全廃させたのです。これによって、社員たちは必要に応じて私に直訴できるし、私も自分の考えをストレートに全社員に伝えることができるようになりました。(pp.81-2)

社員が進んで働くしくみ 「働かされない働き方」が強い会社をつくる

社員が進んで働くしくみ 「働かされない働き方」が強い会社をつくる

評価:★★★☆☆