乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

立岩真也・尾藤廣喜・岡本厚『生存権』

大学院時代の恩師の一人である中村健吾先生が編者を務められた社会思想史の教科書『古典から読み解く社会思想史』(ミネルヴァ書房)に、僕は「人間の権利は存在するのか?――バーク、ペイン」(第2章)と題する論考を寄稿した。*1「人権をテーマとした章を書いて欲しい」というのは中村先生からのリクエストで、それに合わせて書いたわけだが、この論考を準備するうちに人権(特に生存権)への関心が僕の中で一気に高まった。そのようなタイミングでたまたま手に取ったのが本書である。

本書は「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法第25条)をテーマとする3本のインタビューから構成されている。語り手は立岩真也社会学者)、尾藤廣喜(弁護士・元厚生官僚)、岡本厚(『世界』編集長)の3氏。聞き手は元岩波書店の編集者である堀切和雅氏。本書全体を覆っているのは、弱者に冷酷な昨今の日本社会の空気への悲しみと怒りである。

3氏(インタビュアーの堀切氏を含めれば4氏)ともが、生存権生活保護をめぐる議論の「転倒」を指摘している点がたいへん興味深い。そうした「転倒」が当然視されるようになった背景には、新自由主義的な思考の普及を第一に指摘できる。4氏の発言をいくつか紹介しておきたい。

  • これからの、保険なり社会保障なりっていうのが、自分の将来のためであるから、この話に乗ってちょうだいというところが、唯一そのシステムを正当化するロジックであったがゆえに、逆にそれが、だったら政府じゃなくてもいいみたいな話につながってきた部分があったんじゃないか・・・。(立岩, p.18)
  • 結局は、例えばあなたもいつ障害者になるかわからないんだからね、とか、あなたがいつ病気で困窮するかわからないんだからねって説得しかないのは限界がある。今は、例えば収入の4割を社会保障負担に入れれば、4割戻ってくるっていうロジックの話ですけれども、たまたま普通に働ける人間の場合は、4割払って戻ってくるのは2割でもいいんじゃないかっていうふうに僕は思うんですね。(堀切, p.20)
  • 最低限度なるものを、これが低いだの高いだのっていうようなことをめぐって議論しなきゃいけないっていうのは悲しいなっていう感じがどこかであるんですよね。・・・ワーキングプア生活保護の人たちよりも、年間の総収入として低い、ということが起こっているのは事実ですよ。それはだけど、話が逆なわけで、だからワーキングプアに合わせましょうって話じゃないわけですよね。ワーキングプアと言われる人が、少なくとも生活保護受給世帯のラインに達する収入を得られればよいのであって。(立岩, p.28)
  • 資産があったり貯金があったり、持ち家があってしまったりすると、結局それを全部吐き出してしまってからでないと、わが国の公的扶助というのは使えない・・・(立岩, p.32)
  • どんせ制度を作ったって、制度の裏をかいたりとか、ちょっとした漏れがあるっていうことは必ず出てくるわけです。探そうと思えば少なくともある程度出てくる。それをやかましく言って、やっぱり受けすぎのやつがいるという話になっていくと、しょぼしょぼっとした話になっちゃう。(立岩, p.36)
  • 一番大きい問題は、今も問題なんですけども、資産の保有がどこまで認められるか、という問題なんです。・・・資産の保有の問題を一つ一つ議論するっていうのは、私は時代に合わないと思うんですよ。・・・一般的にみんなが持っているようなものについては、ストックは問題にすべきでないと私は考えたわけです。フロー、つまり収入の流れだけを補足しておけばいいと思う。(尾藤, pp.55-7)
  • 年金の額が低いんだから、生活保護費を下げろ、低いほうに合わせろという発想はね、まったく理解できない。発想が逆なんです。(尾藤, p.65)
  • 生活保護を受けている人が、老齢加算にしたって母子加算にしたって削減に反対して訴訟を起こしてるってことに対して、ものすごくハレーションが強いんですよ。無言電話があったりね、投書でめちゃくちゃ書かれたり。税金で食わせてもらって何文句言ってんだ。そういう意見がものすごく強いですよ。(尾藤, p.71)
  • こんな労働の状況だと、自分さえ強ければいいっていうような風潮が横行したり、いじめが起きたりしますよね。強い者がすべてだと。ずるしたってね、いい点とればいいんだと。少しでもいい大学に入るためなら友だち蹴落とさなきゃいけない。そういう世の中にしたくないって言ったって、現実にそういうふうに運用しちゃったらそうなっちゃいますよね。(尾藤, p.82)
  • 貧しいのは「自己責任」であり、「努力が足りない」「能力がない」からだ、という発想がはびこっていて、自分から声も挙げられないし、周りも応援どころか冷たく見ている。それが新自由主義という考え方が人びとの意識に浸透した結果だろう。(岡本, pp.87-8)
  • ワーキング・プアが、いくら働いても生活保護費以下の収入だ、というと、じゃあ生活保護費の方を下げましょうという馬鹿な発想になるでしょう。(岡本, p.90)
  • ほんとの自由っていうのは、僕は、ある程度生活を保障されたところでしか発生しないと思う。生きられる、生存権が守られる、最低限の生活ができるときに初めて自由という概念が成り立つし、自由な言論っていうものも成り立つ。(岡本, p.110)
  • なぜか日本人は、相手をバッシングしたら言うこときくようになるだろうと思うんだね。少年犯罪が増えた(実は増えていないのだけれども)、じゃ少年法を厳しくしようとか、危険運転をしてひどい事故を起こした、じゃ罰則を厳しくしようとか、ひどい犯罪をやったやつは死刑にせよとか、叩きのめせばいい、って単純な発想が強くなってきていると思う。(岡本, p.122)

「連帯」を忘れたバラバラの砂粒のような個人は、もはや「嫉妬」「弱者バッシング」をバネにする以外に生きてゆけないのだろうか? そういう社会に自分は生きたくないし、そういう社会を未来世代に残したくもない。何とかしなければ、と思う。

生存権―いまを生きるあなたに

生存権―いまを生きるあなたに

評価:★★★☆☆

*1:この教科書はすでに公刊されている。