乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

宇都宮浄人『鉄道復権』

欧州では、この二十年来、自動車に交通シェアを奪われてきた鉄道が見直され、高速鉄道の導入やLRT(次世代型路面電車)の拡大などによって大いなる復権をとげている。他方、日本の鉄道は、赤字のローカル線が次々と廃止されていることに象徴されるように、ジリ貧状態に陥っている。この違いはどこに起因するのか? 本書は、欧州の事例に学びながら、日本の交通政策の今後のあり方を展望している。

欧州は自動車と鉄道のすみわけと共存によって人間にも環境にもやさしいまちづくりに成功した。そのポイントは、鉄道を下水道や道路などと同じ都市のインフラと見なし、地域の公的な財源によって支えている点にあるが、その背景には「交通権」(pp.62, 172)という考え方、つまり、移動手段の整備はシビルミニマムであるという考え方がある。また、鉄道の運行とインフラを分離する「上下分離」、民間事業者の誰もが運行サービスに入札できるようにする「オープンアクセス」という考え方を採り入れることによって(pp.58-9)、民間事業者による効率性を一定程度取り込むことにも成功した。

他方、日本では、公共交通といえども「独立採算制」の考え方が基本にある。そのために、赤字ローカル線は廃止を余儀なくされている。しかし、これはよく考えてみればおかしな考え方である。筆者は、鉄道を都市と都市を結ぶ「水平のエレベータ」(p.195)になぞらえて、「百貨店のエレベータも、街の動く歩道も、いちいち料金を徴収しないわけだが、それはなぜか? その考え方がなぜ鉄道に応用できないのか?」と読者に問う。百貨店のエスカレータやエレベータが有料なら、百貨店の利用客は激減するはずだ。エスカレータやエレベータを動かすコストは、独立採算ではなく百貨店全体の採算の中に位置づけられている。そうである以上、鉄道のコストも(環境などへの外部効果を含めた)都市全体の採算の中に位置づけられるべきである。このように、都市のインフラとしての鉄道を「独立採算制」の考え方で評価しようとすることの愚を筆者は説くのである。

このような愚に私たち日本人が囚われてしまっているのはなぜか? それは、逆説的であるが、日本の鉄道が世界でも稀に見る成功を収めたことに起因する。私たち日本人は過去の成功体験ゆえに鉄道事業で「黒字」を出すことを当然視するようになってしまったのだ。そのことが今日の日本の鉄道のジリ貧を引き起こしている。筆者は本書を次のように結んでいる。きわめて説得力に富む主張だと僕には思われた。

本書では、欧州の事例を引き合いに日本の問題点を浮き彫りにしてきたが、筆者は、欧州との違いが生じた背景に、何か日本特有の事情があるとは考えていない。日本の基幹産業が自動車産業であることが、鉄道の軽視につながっているかのような見解もあるが、先にみたとおり、自動車産業が発達しているドイツでも鉄道に公費をあれだけ投入している。あるいは、日本と欧米の民族性や民度の違いを指摘する向きもあるが、これとて、「欧米」とひと括りにするのはあまりに乱暴な議論であろう。そもそも日本人に「共助」や「公助」の気持ちがないとも思わない。 唯一の違いは、日本の鉄道が、20世紀、鉄道事業者の積極的な投資と必死の努力によって、先進国の中でも稀に見る成功を達成したことである。この成功によって、鉄道は単体で採算が合うものという「常識」が創られ、総合的なまちづくり・地域政策の中に鉄道が位置づけられることもなくなった。・・・。
・・・たとえ鉄道単体の事業収支が見合わないものであっても、高齢化・人口減少・デフレ経済という事態に直面する日本において、エネルギーを浪費せず、環境効率が良く、しかも老若男女の社会参加を促すことのできる鉄道の価値は計り知れない。
過去の成功物語に囚われず、時代の変化を読み取り、目先の収支ではなく長期的な視野で物事を解決していけるかどうか。この点こそが、日本が豊かな成熟社会へ転換して行くうえで、一つの重要な鍵であるように思う。(pp.226-7)

日本の成功事例――大阪モノレール和歌山電鐵(猫のたま駅長)、富山ライトレール――も紹介されている。読みものとしても楽しい。

鉄道復権―自動車社会からの「大逆流」 (新潮選書)

鉄道復権―自動車社会からの「大逆流」 (新潮選書)

評価:★★★★☆