乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅰ』

久々の「乱読ノート」アップデート。11月は関大着任以来最高レベルの忙しさで、自由な読書をまったくしていない。今日とりあげる『悲しき熱帯』も、大学院(&番外ゼミ)のテキストとして読んだものだ。

現代思想に少しでも興味のある人なら、レヴィ=ストロースの名を聞いたことのない人はいないだろう。構造主義の始祖として知られるフランスの人類学者だ。その思想の概要については、学部生時代から親しむ機会が多かった*1が、レヴィ=ストロース自身が著したテクストを読む機会は、これまでまったくなかった。このたび、ゼミ生OKB君が「レヴィ=ストロースを読もう」と提案してくれたおかげで、ようやく読む機会を得たわけだ。

本書は、著者が1930年代にブラジル奥地で行なったインディオ調査旅行の記録なのだが、単なる記録ではない。本書が「私は旅や探検家が嫌いだ」(p.4)という一節で始まっている事実こそ、本書の特異性を象徴している。

旅よ、お前がわれわれに真っ先に見せてくれるものは、人類の顔に投げつけられたわれわれの汚物なのだ。(p.47)

本書は全編が隠喩で綴られていると言っても過言ではない。彼は、ブラジルについて語りながら、想像力の飛翔を抑えきれず、同時に人間と文明についても語ってしまう。西洋文明の傲慢を決然と戒め、高貴な「野蛮人」に深い共感を示す。

本巻(Ⅰ巻=上巻)で特に印象深かったのは、第13章「開拓地帯」・第14章「空飛ぶ絨緞」・第15章「群集」・第16章「市場」だ。ブラジル南部の総合都市――「都市の東から西への拡大、そしてこの軸に沿っての豪奢と貧困の分極化」(p.200)、「ゴイアニア市の創設」(p.206)――について語るうちに、彼の想像力は「空飛ぶ絨緞」に乗って南アジアへと飛翔してしまう。ユダヤ人としての出自を有する著者は、カルカッタの聖所(カーリーの女神の神殿)の宿に、アウシュビッツ強制収容所を連想して恐怖する。ナチスの悪夢はヒトラーという一人の特異な人物が生み出したものではなかった。西洋文明の本質であるところの野蛮さの一つの帰結なのだ。文明の伝播という野蛮で非人間的なプロジェクトは、昔も今も世界の各地で展開中なのだ。

このようにして私は、労務者街と低所得者用集合住宅のアジアが、私の目の前ですでに未来の姿を示しつつあるのを見たのだ。そこに予示されているのは、一切の異国情緒をかなぐり捨て、恐らく紀元前三千年紀アジアが発明したあの陰気くさい効用第一の生活様式を、五千年の空白の後に取り戻そうとしている明日のアジアなのだろう。この生活様式はその後、地表を移動して行き、われわれにとってまだアメリカというものと同一視されているくらい、近代になってしばらく新世界に留まっていたが、1850年から再び西へ進み始め、日本に到達し、世界一周を終えて、今日、その起源地に戻ったものなのである。・・・遺跡[=モヘンジョ・ダロハラッパ]全体は、今日アメリカ合衆国がヨーロッパに向かってさえ見本を示している、あの西洋文明がさらに推し進めた形式を予示しているのである。(pp.214-5)

また著者は、「人間という種の一部に人間性を認めない」(pp.250-1)インドのカースト制度の中に、文明の末路を見ている。すぐそばに「人間による人間の価値剥奪は蔓延しつつある」(p.251)との一節もあることから、著者の脳裏にはまたしてもナチスの恐怖がよぎっていたような気がしてならない。

アジアで私を怖れさせたものは、アジアが先行して示している、われわれの未来の姿であった。(p.251)

これ以上望みようがないほど丁寧で流麗な訳文である。訳者の川田順造さんによれば、脱稿まで12年もかかったそうだ。それくらいかかるのも当然だと思えるほどの素晴らしい仕事だ。(Ⅱ巻に続く)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

*1:橋爪大三郎『はじめての構造主義』などを通じて。