乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅱ』

Ⅱ巻に入ると、本書は探検記としての性格をいっそう希薄化させていく。章を追うごとに、著者自身の意識の流れを描写する叙述の比重が増えていく。「根源に遡ること」(p.416)が民族学者の常なる野望だと考え、「野蛮の極点にまで到達したいと望」(p.263)む著者は、アマゾンのさらなる奥地へと歩みを進め、ボロロ族、ナンビクワラ族、トゥピ=カワイブ族と出会う過程で、自分自身が従事している仕事(民族学の調査)の意義について疑念を抱き始める。

何をしにここまでやって来たのだ? どんな当てがあって? 何の目的のために? 民族学の調査というのはそもそも何なのか?(p.354)

こうした疑念は最終的には「民族学者を生み出した唯一の社会」(p.379)たる西洋社会の優越性への懐疑にたどり着く。

西洋世界が民族学者を生み出したにせよ、それは一つの大層強い悔恨が西洋世界を苦しめたからに相違な[い]・・・。民族学者は、彼の存在自体が罪の贖いの試みとしてでなければ理解し難いものであるだけになお、彼自身の文明に無関心ではいられず、文明の犯した過ちについての連帯に無自覚ではあり得なくなる。彼は贖罪の象徴である。(pp.379-80)

著者が最終的にたどり着いた洞察は、西洋社会も未開社会も本質的に同じである、ということだ。両者の間に優劣は存在しない。「善い野蛮人」(22章のタイトル)は神話にすぎない。

著者のこうした文明観が最も端的に表明されているように思われるのが、ナンビクワラ族の首長制について論じた29章だ。『悲しき熱帯』全40章のうち僕にとって最も印象深かった章だ。

私の知っている首長たちは、それを自慢の種にするよりはむしろ、自分たちの重い任務と数々の責務を嘆いていた。それでは一体、首長の特権とは何であり、義務とは何なのであろうか。
1560年頃、モンテーニュルーアンの町で、或る航海者が連れ帰った3人のブラジルのインディオに出逢った時、モンテーニュインディオの一人に、お前の国では首長(モンテーニュは王と言った)の特権は何なのか、と尋ねている。それに対して、彼自身首長だったこの先住民は、それは戦いのとき先頭に立って進むことだ、と答えた。モンテーニュはこの話を、『エセー』の中の有名な1章で物語り、この誇りに満ちた定義に驚きの目を瞠っている。しかし私にとっては、4世紀後に、全く同じ答えを聞いたということの方がさらに大きな驚きであった。(p.222)

どのような動機が、いつも愉快とは限らないこの任務を彼に引き受けさせるのであろうか。・・・首長になる人間がいるのは、どのような人間集団においても、仲間とは違って、特権そのものを愛好し、責任をもつということに惹き付けられ、そして公の仕事の負担そのものが報酬であるような人間がいるからである・・・。こうした個人的な差異は、様々な文化において、それぞれ異なった度合いで発達し、作用して来たものであるに相違ない。しかし、ナンビクワラ族の社会のように、競争意識による刺激がほとんどない社会にも、このような個人の差が存在することは、この差異がすべて社会的なものから生まれたのではないことを示唆している。この差異はむしろ、あらゆる社会がそれによって構築されている人間の心理に関わる、未加工の材料の一部を成しているのである。人間は、みな同じようなものではない。社会学者が、なんでもかんでも伝統によって圧し潰されたものとして描いて来た未開社会においてさえ、こうした個人の差異は、「個人主義的」と言われている私たちの文明におけるのと同じくらい細かく見分けられ、同じように入念に利用されているのだ。(pp.234-5)

この「人間は、みな同じようなものではない」という一節を誤読してはならない。この一節は西洋社会と未開社会の本質的同一性を主張している。どんな社会にも、仲間と同じであることを厭う者、仲間への同情からではなく自分自身の卓越性を示すために(自己を讃美するために)あえて重い公共的責任を率先して引き受ける者がいる、ということなのである。たまたま本書と並行して『道徳の系譜』を読んでいたせいか、僕はこの未開社会の首長の心性にニーチェの「君主道徳」を読みとった。本書にニーチェの名前は登場しないが、大衆社会化するヨーロッパの現状は著者の目にどのように映っていたのだろうか?

ともあれ、限られた紙幅で本書の知的豊穣さを伝えきることは不可能である。現物を手にとって読んでもらう以外に方法はない。

悲しき熱帯〈2〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈2〉 (中公クラシックス)

評価:★★★★☆