乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

城山三郎『鮮やかな男』

先週実家に帰省した折りに、たまたま父の本棚にあるのを見つけて、そのまま京都へ持ち帰ってきた。中学しか出ていない父だが、経済や経営に関する教養はおそろしいほどに高かった。現場(自営業)の経験に加えて、経済・企業小説を猛烈に読むことによって、父はそれらを独力で身につけた。そんな父が山崎豊子森村誠一黒岩重吾と並んで愛読していたのが城山三郎だ。城山は我が国において経済・企業小説というジャンルを確立した小説家。東京商科大学(現一橋大学)の山田雄三教授のゼミで理論経済学を学んだ。卒業後、愛知学芸大学(現愛知教育大学)で教鞭をとったが、その後小説家へと転身した。彼の小説世界には経済学者としての知見が裏打ちされている。

本書は6つの短編「多忙といわれた男」「ファンタスティックな男」「鮮やかな男」「ロールスロイスの男」「非常口の男」「百二十点の男」からなる。どの作品も、組織(企業)の有無を言わさぬ力に翻弄された企業戦士たちの悲劇を描いている。城山は厳密には経済・企業小説とは言えない伝記小説も多数書いているが、組織であれ時代であれ、運命的なものに翻弄されて(or抗って)生きる男たちの悲喜劇を描くのが得意な作家だ。

奥付けを見ると、「昭和50年8月15日初版発行、昭和50年12月10日3版発行」とある。昭和50年と言えば、父は33歳で僕は7歳。今の自分よりも4歳も若い父がこの本を読んでいたかと思うと、なんとも奇妙な気分になる。父はこの本をどんな気持ちで読んだのか? それはともかくとして、本書は昭和50年に刊行されたので、さすがに内容的に古さを感じさせる作品も多い。当時の日本にはまだ根強く残っていた貧困に関するくだり、車やゴルフに成金趣味的な何かを感じて憤っているくだりなどは、2006年の今となっては違和感すら覚えてしまう。また、トップエリートがトップエリートであるという理由だけで女性に思いを寄せられているのは、あまりにも人物の描き方として平板だ。「いまどき、そんな女はおらんやろう」*1って文句が聞こえてきそうだ。

だから本書を「強く薦める」とまでは言わない。城山作品には他にもっと良質なものがたくさんある。しかし「多忙・・・」「120点・・・」は今でも読まれうる名品だと思う。組織のために動いて、ふたを開けてみれば組織に利用されていたという悲劇は、今でも日常茶飯事なのだから。

以下は学生諸君に言いたいこと。アルバイトもいいけれど、ほどほどに。アルバイトばかりではなく、この種の小説を読むことによって、5年後、10年後、20年後の自分をシミュレートしておくことは、それに劣らず意味のあることだと思うから。アルバイトに埋没せずに、その時間の一部を読書にも充てて欲しい。人生の悲喜劇についての引き出しの数をもっと増やして欲しい。現場の知識は断片的であり、汎用性に欠ける。読書を経由してはじめて、断片が一つにつながり、汎用性を獲得する。本当の意味で使える知識になる。「知識は役に立たねばただのお荷物」*2なのだ。現場か書斎かという二者択一ではない。両者のバランスが大事だ。それは、学生諸君に対してばかりではなく、自分の同業者に対しても言いたいことなのだが。

次の役員会。
・・・。
制限時間である二時間にあと十五分というとき、突然、岡常務が痩せた体を起こし、
「緊急提案があります」
と、叫んだ。
珍しく、何か思いつきでもあったのか。それとも、解任の気配を察し、急に勉強でもしてきたのだろうか。
平河は軽い気持ちで受け、発言を許した。
「そ、それでは・・・」
よほどのことを言おうというのか、岡は削げた頬をふるわせた。何でも言わせておけ、どうせあと十五分足らずだと、平河は腕を組み直した。
「わたしはここに本社の経営立て直しのため、平河社長の代表取締役解任を提案します。同時に、矢野専務を代表権者に互選したいと思いますが、いかがでしょうか」
平河は耳を疑った。
「岡さん、何を言うのです」
当然、座は騒然となると思ったが、どの顔も緊張しながらも静まっていた。そこではじめて平河は、自分抜きで謀略が進められているのを知った。(「多忙といわれた男」pp.31-2)

鮮やかな男 (角川文庫 緑 310-7)

鮮やかな男 (角川文庫 緑 310-7)

評価:★★☆☆☆

*1:こだま・ひびき風に言ってみて下さい。

*2:実家にあったカレンダーの言葉。