乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

塚田孝雄『ソクラテスの最後の晩餐』

タイトルに反してソクラテスは本書の主役ではない。本書は古代ギリシャ(特にアテナイ)の一般庶民の日常生活を一般読者向けに解説したものである。衣食住はもちろんのこと、結婚、学校、祭り、オリュンピア競技、芸術(演劇、絵画)、暦法、さらには陶片追放や司法(裁判員)のしくみにいたるまで、多岐にわたるトピックがとりあげられている。

・・・古代ギリシャのさまざまな人々が、二千年から三千年前に日々どのような生活をしていたかを、みなさんにお話しすることが、この本の目的なのです。
そして彼らの生活振りがわかって来ると、古代ギリシャ人が身近なものになり、その中のエライ人たちについても興味がわくというものです。(p.5)

読みやすい、わかりやすい、との評価がweb上で散見されるが、少なくとも僕にはそう感じられなかった。「中高生向け」を標榜しているちくまプリマーブックスの一冊にしては、文章がやや冗漫な印象を持った。細かいファクトの紹介が多すぎるのではないだろうか。著者のいちばん伝えたいことが何なのか、いまいちクリアに頭に入ってこない。また、基本的に文献資料にもとづきながらも、資料の不足を想像力で補うという執筆スタイルを採用しているために、記述のどこが文献資料にもとづき、どこが著者の想像によるものであるのかがわからない。そのため、記述の信憑性が気になって仕方がない。例えば、ちょうど今プラトン『饗宴』を読み進めている最中なので、少年愛に関する記述の信憑性が特に気になった。折衷的スタイルを採らずに、想像力重視の物語本に特化してくれたほうが、むしろ安心して読めた気がするが、著者は研究者なので、それはないものねだりかもしれない。

プラトンは父アリストンの名に因んでアリストクレスと付けられたのに、体格が立派で肩幅が広いので、もしくは額が広かったので、プラトン(広い人、プラットフォーム、プラタナスの「プラット」「プラタ」〔葉が広い〕と同義です)というあだ名が付き、これが通称になったのだそうです。(pp.46-7)

これは初耳。要するにプラトンは「ヒロシです。」ってわけだ。明日からでも授業の小ネタに使えそうだ。けれども、興味深いエピソードの羅列だけでは満足できない読者としての自分がいる。その意味では期待外れであり、煮え切らない読後感だ。類書を見ないという点において、本書の価値は決して小さくないけれども、僕の評価は辛口にならざるをえない。

ソクラテスの最後の晩餐―古代ギリシャ細見 (ちくまプリマーブックス)

ソクラテスの最後の晩餐―古代ギリシャ細見 (ちくまプリマーブックス)

評価:★★☆☆☆